人は、ふるさとびと

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水子供養について

2012-04-05 09:38:23 | スピリチュアル
 (問)水子供養とか水子地蔵とかありますが、
最近のお寺のああいうものは、あれでも
浄まるんですか。水子の形をかりた幽界の
感情霊のようなものでしょうか。


 (答)あれはなかなか浄まらないんですが、
なかなかそんなものじゃないんですが、愛念
というものはね。水子供養などが何で成り立って
ゆくかというと、ああ悪いことをした、生まれて
くるべき生命を自分が絶っちゃったという想い
でしょう。それがずっと自分の中に
たまり過ぎちゃうと、キリスト教の原罪みたいに
なって、自分を責めることになるんだけれど。

 でも、水子というものはないんだといって、
不感性になって、何をしてもいいんだということ
になったら、これまた人間として失格な訳です。
 やっぱり思いやりというのか、生命に対する
極みのない想いというのか、それを失ったら
人間が人間でなくなる訳ですからね。それが自分の
生んだ生命を絶っちゃった、子供達への素直な
愛惜の想いというものが、こっちから見ていると
光の波になるんですよね。神界から見ているとね。
 それは必要なんです。

 ただ、そういう親の素直なきれいな気持ちを、
この世の中で利用して儲けている人はいる訳で、
その人達はその人達で又ぶつかってどこかで修行
しなくてはならないということはある訳ですから、
この世の中で繁盛しているものが必ずしも真理か
というと、そうではない。真理というものは
もっと別のところにある。そこのところは分けて
考えてあげないと。
 一所懸命そこで素直な気持ちで悪かったと
思って、どんなに商売だけのお寺にしても、
そこに祭ってもらおうと来ているお母さん達の
気持ち、家族の気持ちが本当に澄んで、光のような
ものであれば、それはお寺を突き抜けて、
守護霊さん守護神さんの手で、ずっと高い所まで
行って清められて光になって還ってます。

 ですから、現象界と霊的なものとの世界の
結びつきというものは、全く違う世界の
有り様(よう)を示している訳で、世の中こんな
商売気だけのものが繁盛しておかしいじゃないか
といって、言ってしまうのも、これも一刀両断
過ぎるところもあるんですよね。