人間とは何か──
誠実に生きてくればくるほど
みんなこの質問の前に一度や二度は
立ちつくします
自分の心のなかに
いくつもの自分の想いがあって
どれが自分なのだか
わけがわからなくなってしまう
そのうち
人間というものも
何なのかわからなくなる
自分というものを
問いつめてゆくこと
それが
とりもなおさず
人間について
考えてゆくこと
なのであります
しかし
迷ったり
悩んだり
かなしんだりする
そのなかを
グルグル廻っている
それが人間だという理解で
人間をとらえていきますと
かならず
行きづまってしまうのであります
こんなものじゃない筈だ
と思ったりする
感情の世界
自分が了解している範囲内で
人間をとらえていくということは
ある限定のなかで
自分自身をとらえる
ということになるのであります
そうではなく
人間というものは
無限定の世界から
みつめたときに
はじめてその本質が
あらわれてくるものなのであります
自由自在身
本心と本心が呼び合い
光と光が結び合う
かたちが必要なときには
かたちとなり
おもいを流すことが必要なときには
おもいを流してゆく
そういう自在さを
人間は本来
持っているものなのであります
(つづく)
誠実に生きてくればくるほど
みんなこの質問の前に一度や二度は
立ちつくします
自分の心のなかに
いくつもの自分の想いがあって
どれが自分なのだか
わけがわからなくなってしまう
そのうち
人間というものも
何なのかわからなくなる
自分というものを
問いつめてゆくこと
それが
とりもなおさず
人間について
考えてゆくこと
なのであります
しかし
迷ったり
悩んだり
かなしんだりする
そのなかを
グルグル廻っている
それが人間だという理解で
人間をとらえていきますと
かならず
行きづまってしまうのであります
こんなものじゃない筈だ
と思ったりする
感情の世界
自分が了解している範囲内で
人間をとらえていくということは
ある限定のなかで
自分自身をとらえる
ということになるのであります
そうではなく
人間というものは
無限定の世界から
みつめたときに
はじめてその本質が
あらわれてくるものなのであります
自由自在身
本心と本心が呼び合い
光と光が結び合う
かたちが必要なときには
かたちとなり
おもいを流すことが必要なときには
おもいを流してゆく
そういう自在さを
人間は本来
持っているものなのであります
(つづく)