(前日からの続き)
人間は神の分生命(わけいのち)であり
分霊(わけみたま)である
ということはしばしば
申し上げているところでありますが
それは
無限定の神の大愛から
わかれてきた存在である
ということなのであります
あるがままにあることが
すなわち
光となり
愛となる存在
それが
神の愛
智慧であります
真理であり
真善美の世界であります
何をおもうということもなく
成すということもなく
そのままにあることが
いのちすこやかに生きる
ということになるのであります
朗らかに天のこころに従って
生きること
これが無為であります
自分自身を解放すればするだけ
人間は自らのいのちの流れに
すなおに
生きることになるのであります
自分自身を
本当にしってゆくには
どうすればよいか
何をすれば
真実の人間のすがたを
みることが
できるようになるか
と申しますと
それは祈りであります
人間は
祈って参りますときに
真実の自己に出合うのであります
悩みなら悩みをかかえたままで
苦しみなら苦しみをかかえたままでいいから
真実祈りに入ってゆきますと
朗らかな自分自身
すなわち
本心が
ひらいてゆくのであります
(つづく)
人間は神の分生命(わけいのち)であり
分霊(わけみたま)である
ということはしばしば
申し上げているところでありますが
それは
無限定の神の大愛から
わかれてきた存在である
ということなのであります
あるがままにあることが
すなわち
光となり
愛となる存在
それが
神の愛
智慧であります
真理であり
真善美の世界であります
何をおもうということもなく
成すということもなく
そのままにあることが
いのちすこやかに生きる
ということになるのであります
朗らかに天のこころに従って
生きること
これが無為であります
自分自身を解放すればするだけ
人間は自らのいのちの流れに
すなおに
生きることになるのであります
自分自身を
本当にしってゆくには
どうすればよいか
何をすれば
真実の人間のすがたを
みることが
できるようになるか
と申しますと
それは祈りであります
人間は
祈って参りますときに
真実の自己に出合うのであります
悩みなら悩みをかかえたままで
苦しみなら苦しみをかかえたままでいいから
真実祈りに入ってゆきますと
朗らかな自分自身
すなわち
本心が
ひらいてゆくのであります
(つづく)