人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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神 の 光(2)

2020-12-29 07:39:21 | スピリチュアル
    (前日からの続き)
宗教というものは
もともと
人間の本質を見失った肉体人間が
自分のいのちのありどころ
帰るべきふるさとを
祈りのうちに求め、真に
人間というものが
自由で朗らかで
明るい光のなかに
生きつづけてゆく存在であることを
深くしってゆくための
ものなのであります

ですから
神を語り仏を語り
神をしり仏をしることは
この宇宙をしることは
すなわち
永遠者の
大いなる智慧に抱かれることで
ありまして
決して自分自身のいのちを
不自由にしてゆくものではないので
あります

ところが
これまで人類は
それぞれ信じる宗教のなかで
がんじがらめになり
とらわれの身となってきた
なぜか

それは
先程申しましたように
それぞれの人が
己れ尊し
自分のところの宗教が一番正しいんだ
真理なのだ
という姿勢をふりかざして
他の立場に生きる人々を責めて
自分の方へ自分の方へと
いわば念で
それぞれの集団をつくってしまった
からであります
これではいけない
これでは救われる筈がありません

たとえ信じる宗教が
現世利益のものであっても
邪教とよばれるものであっても
そこで一所懸命やることが大事なのだ
と私は申しました
現世利益が宗教の本質だとも
思いませんし
他を認めない怪しげな宗教を
いいというのでもありませんけれども
そこならそこに入って
一所懸命やるという
その一所懸命が
現世利益を離れ宗教をはなれて
生き出してくるのです
動いてくるんです
働き出すんです
光として働き出してゆくんです
一所懸命が光を呼び覚ますんです
        (つづく)