人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

無 題

2010-09-20 14:37:12 | スピリチュアル
おもいを明るくしてゆくと、光になる



私達は、あふれる程に神から

愛されているのです



流れというものは、細い所を流れるせせらぎの

ような流れも、ナイルのような深い流れも

あるけれど、その流れを支配している大生命の

源は、明るく、悠々としている



宇宙はひびきであり、我々は波動なのです

おもいなのです

ですから、このおもいを、宇宙の大愛のひびきに

合わせて愛にとかしてゆけば、大調和の世界が

出来上ります

私達の使命は、この調和をつくり出すことにあり、

世界平和の祈りは、宇宙人類とともに唱える大愛への

回帰の祈りなのであります



真理は愛

愛というのは

神の心

私達はその

神の分生命



何か悲しいことにぶつかって、世界平和の祈りを

する。それでも悲しい。また世界平和の祈りを

する。それでもやりきれない時は、一度、そんな

自分を、全部、私にあずけてしまいなさい。

任せ切ったところから、光は出るものだよ。私は、

神に任せることだけをずっと修行してきたのだ。



天命というのは、ずっとつづいてゆく・・・

永遠につづいて、遂に神のみこころの中に

入りきるまでを天命というのです。



自分を大事にしなさい

やけになっちゃいけないよ

無 題

2010-09-19 13:05:10 | スピリチュアル
最初は小さな声でいい

世界人類が平和でありますように、

けれど祈りが生命に喰い込んできたら、

声高らかに唱えてみてごらん



私の教えは、みんなの生命に、

神の愛を喰い込ませる祈りだよ



空を見上げてごらん、空は広いよ

空には神の心がうつっている



なんにも心配しないで、

全部私の所に持っていらっしゃい



私は光の供給所だよ



私には何もない

神の愛だけがある



神を愛するということは、

人間から離れることじゃない

人間を離れて、神を愛することなんかできゃしない

第一、神はこれまで一度だって

人間を離れたことはないんだから

ここのところを間違っちゃ駄目だよ



詩心というものはいいものだよ

人にも自然にも愛深くなる



わかれというのは、悲しいね



ねえ、寂しさをうんと味わい切ったら、

その人は深くなって光がみちる

そう信じて祈ってあげることだよ



神様が人間に下さった贈り物は、

何といっても愛と祈りだよ



面白い人、楽しい人、好きだねえ

その面白さや楽しさのなかに

愛がみえてくると、

私はありがたいと思うよ


あるがままのいのちを生きる

2010-09-18 12:06:19 | スピリチュアル
あるがままの

いのちを

生きる

ということは

自分を自由にする

ということなのです


それは

人間が

無限の神の愛から

分かれてきた

光のひとすじであり

無限の統一のなかで

ずっと進化しつづけてゆくものだ

ということを

こころに覚え

刻むことなのであります


人が

その本来の生命をしるとき

祈りにかえるのであります

祈りの光を放ち

また受けながら

やさしさのなかに

神の愛のなかに

とけ込んでいくのであります

無 題

2010-09-17 12:30:05 | スピリチュアル
空は私たちのふるさと、神への階段



心が急ぐ時、目を閉じて、深く息を吐いて

ごらん



三人寄れば文殊の智恵というのは本当だよ、

しかし、私たちは、神様の智恵に耳を

すまさなければ、そのためには、たゆみなく

祈ることだね



一人で生きているとおもうから、人間は

傲慢になるんだ



先ず、自分をおちつかせることがさき

それができて初めて、社会や人類のために

役立つ器にさせて下さる



現実を馬鹿にしてはいけない



宗教者や、信仰者が、いたずらに神秘的なことに

目をうばわれるのは、まちがっている



私は一人であって、私は全部だよ。こうして話して

いるかとおもえば、どこにでも私はゆく。それが

神のはたらきであるからだ。



純心にかなうものはない



話をきく立場の人は、先ず、相手の天命を祈って、

祈り心で相手の中に入るように努めなさい



人間のあやまちを永遠にゆるし、いのちの

光を送って下さるのが神様



私どもは神の愛をあらわすために、永遠のいのちを

与えられているのです。ですから、この世においても

心をすますように、出来るだけ心が澄むように、

世界平和の祈りの中に自分を入れることが大切です



本来、自分というものはないのです



私は、一切ああしてはいけない、こうしてはいけない

という言葉は、つかったことがない。とらわれては、

神の光が入りにくいからです



とらわれるというのは最大の業だね



明るく楽しく。自分にそういい聞かせていれば、

あとは神様がして下さる



一茶の、あなた任せの年の暮という句は、

寂しいなかで神様をしたった句です。みんな

ずっと神様任せになればいいねえ



みんな霊人、みんな光

無 題

2010-09-16 12:15:11 | スピリチュアル
何事も

むずかしく考えないことです

神がみて下さっている



空をながめると

自分が吸い込まれてゆきそうに思うのは

そういうこころ(おもい)が、私達の

ふるさとだからです



相手の立場に立って

天命を祈ること

これを無限に拡げたのが、世界平和の祈り

なのです



神様につながるつながり方は

人によってさまざま

どんなつながり方でもかまわない

素直が土台になっていれば



私は色々な人の想いの

波を受けるが

瞬間に

それを光にして返している

だから、私にあるのは

光ばかりだ