人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

霊人たちが 祈る人たちの後押しをする

2020-02-14 09:44:05 | スピリチュアル
     (前日からの続き)
だから、こうならないといけない、こう
しなきゃいけないって、みんな思うけど
それはすごく窮屈な考え方。

ただ、強制がないと人間てやらない
でしょ。
だから、何時何分にここに集まって
こういう行動をします、でも皆さんが
集まるということが、それだけで皆さんを
守っている、皆さんの後ろの霊団の
人たちが皆さんを後押しして、皆さんが
100人集まったとしたら、100人なんて
いうものではなく、何千、何万、何億の
霊団の霊人たちが、そこに集まってきて
下さっている。

で、その人たちが後押しをして、印を
結ぶだの、それから祈り言を言うだの、
宣言をするだの、そういうことが始まる
わけで。
           (つづく)

世界平和の祈りの役割

2020-02-13 11:56:35 | スピリチュアル
五井先生の霊団というのは、徹底した
世界平和を成就するには、何が必要
かっていうことですよね。
そこが一番の中心になってる。
だから、どんな時もまず祈る。

例えば、そこに雑念があっても
いいんですよ。
とにかく雑念があっても何があっても
祈り言を唱えると、元々の我々の中に
光があって、その光明っていうのが、
元々の我々の生命(いのち)を
成り立たせている大元なんだから、そこに
帰ってゆくスイッチは、とにかく祈りを
思い浮かべる、祈りの言葉をつぶやく、
言葉にする。

形じゃないんだけど、そうやって中に
入ってゆくと、中の自分が働き出して、
で、段々、段々、光一元の自分が
真ん中にせり出して、それが肉体を
痛めないで元々の大光明の世界の
意識っていうものを前面に押し出す
役割をする。
         (つづく)

宝について(7)

2020-02-12 09:25:39 | スピリチュアル
      (前日からの続き)
人間というのは何が大事かというと、休養
なんですね。
休養を得るには、やはり自分を見つめる心が
大事なんです。
ところが皆んな自分というものがわからなく
なってる訳ですよ。
悩む自分、惑う自分、苦しい自分というのを
自分だというふうにつかみ間違えてしまうと、
執着の方へ行ってしまう、苦の方へ行ってしまう。
しかし、自分というのは本当はそういうもん
じゃない。
自分というのは、空っぽになって本当に朗らかに
なった時に、その小さい人間の智恵なんてものは
止まって、神様の方から、「こういうふうにすれば
いいんだよ」と、何も思わなくても、その
ように運命というものは作られてゆく。
それは支配されてゆくという事ではなくて、
本当に神様と一つになった時に、朗らかな生命に
変わってゆくわけですね。
ですから、その朗らかな生命というものを、皆が
心の奥に持っているんだということを、ちゃんと
自覚をしてね、その上に立って世界平和の祈りを
する。
守護霊守護神に祈りを捧げる。
そういう中で、人間とはこういうものなんだと、
私は人間に生まれて今は辛いけれど、元々私という
のは朗らかな生命そのものなんだと、そういう
ところへ守護霊守護神が導いて下さるんだと、
神様の導きがあるというところへ心を向けて
やってゆけば、人間というのは楽に生きることが
出来るのです。
            「宝もの」了

宝について(6)

2020-02-11 12:04:17 | スピリチュアル
      (前日からの続き)
合気道の植芝先生は、自分が宇宙だって
言ったんですね。
私も宇宙だって、あの先生に返したんです。
ということは、宇宙というのは競争者が
いないんです。
そして、人間というものは誰一人として例外
なく、この宇宙なんですね。
本当に誰とも競争しない、誰とも競合しない。
それはもう厳然としてそこに在る。
存在そのものだとね。
誰にも冒されない誰も冒していかない。
それでいてそこにキッチリ立っていて
光り輝いている。
一人一人がそういう存在なんですね。
その人間の本質に気が付いてゆくと、楽に
なるんです。
苦しまなくていいわけですよ。
苦しんでしまうと、無用な競争をしたり、
嫉妬心が起こったり、独占欲が出たりして、
そこで競争して疲れてしまって、ああ私は何で
出来ないんだろう、なんで私はこんなに
生まれついたんだろう─と思ってしまう。
だけれども、それはなんていうか、徒労
なんですね。
悩むことも一つの勉強だけれども、
そのことで振り廻されるほど人間はそんなに
小さく出来ていないんですね。
本当は、もっともっと人間というのは朗らか
なんです。
そりゃあ人の中に入れば、気を使わない
わけにはいけないけれど、気を使い過ぎて
クタクタになって、くたびれ切って、もう明日
から仕事するのはいやだ、生きるのはいやだ
という事になってしまうのも困るんですね。
         (翌日に続く)

宝について(5)

2020-02-10 10:31:23 | スピリチュアル
      (前日からの続き)
自分自身、こうやりたい、ああしたいとかいう
意気込みは大事だけれど、我(が)を出して
競争心が過剰になると、欲と二人連れになってね、
そのことによって執着が生まれ、その執着から
把われが出て来て、その把われがその人を離さ
なくなった時に、これが苦になっていく訳ですから、
その苦にならないためには、大事なことは、
その時に、守護霊さん守護神さんよろしくお願い
します、私頑張りますが御心にお任せします─
というような気持ちで頑張ってゆくと、これが
執着にも苦にもならない。

ところが、やっぱり人間ですから、いろいろ
頑張ったのに、あっちの方が成績が良くて、
私の方が成績が悪かったというようなことに
把われてくると、純粋に頑張っていても、
だんだんと頑張れなくなってきて、夜も眠れなく
なってきてしまう。
次の日に仕事に行くのに、すごい顔して
行かなくちゃならないとか、そういうことに
なってくるでしょ。
それは結局何かというと、自分の気持ちの中で
頑張ればいいものを、私とあの人とか、相手と
競争しようとするからです。
           (翌日に続く)