ひまわりおじさんの熊本地震 その14
お茶わんプロジェクト その8 東日本大震災の対応 2011年
東日本大震災でのお茶わんプロジェクトで、5回目の実施となりました。
震度9。未曽有の大震災にまず向かったのは、唯一東北の沿岸部に住む知人の元でした。
宮城県気仙沼市本吉町小泉地区・小泉中学校避難所の支援から始まりました。
しばらく避難所の生活支援を手掛けてから始めたのがお茶わんプロジェクトです。
岩手宮城内陸部地震で知り合ったNPO法人アズマーレとタグを組み、栗原市社会福祉協議会に
協力を依頼し、廃校となった旧築館女子高校の体育館を借り受け、集積基地として集めました。
回数を重ねるごとに諸般の知恵と経験が効力を発揮し、5000箱を超える食器類が集まりました。
後は汗を積み重ねながら、仮設住宅を回り10月10日に石巻開成団地仮設住宅での無料食器市を最後に完配しました。
その中で、印象に残った南三陸町歌津の平成の森仮設での配布の模様を写真で紹介します。
写真1 予告していたこともあり平成の森仮設の住民が沢山集まってくれました。
写真2 8m×8m位のブルーシートを広げ、配布の要領を説明します。
20箱を開封しますので、並ばれた方20人の皆さんに好きな食器を選び取って頂きます。
制限時間は10分です。10分立ちましたら全員外に出て頂き次の方に代わります。
もっと欲しい方は、最後方に再度並んでください。今日持ってきた食器が無くなるか、
皆さんがもう要らないというまで繰り返します。
写真3 10分経ったら、全員シートの外に出て頂き、新しい箱を並べます。
コツは、「空き箱に食器を入れて持ち帰り下さい。」この一言でゴミが半減します。
トラックの荷台が空になる頃には、受け取る側も、配る側も自然と笑顔でになり終了です。
こうして無料食器市は、主に入居の始まった仮設住宅の集会所や、近くの空き地で在庫がなくなるま
で繰り返されます。
食器は、食料と違って長い間、愛されながら家族の暮らしを陰でそっと支え続けます。
贈った人と頂いた方のが、音叉のように共鳴し続けるのです。いまでも新潟県旧山古志村の方が神戸
の食器を使ってくれているのです。
いかがですか?あなたもその仲間に。
ひまわりおじさんは、そのメッセンジャー役をする事に生き甲斐を感じています。
みなさんの善意の食器の提供をお待ちしています。
5月17日 ひまわりの夢企画 代表 荒井 勣(いさお)