さて、前回のつづき。
教科書が読めない、つまり「読解力がない」と、どうして困るの?というお話をします。
『次の文を読みなさい。
エベレストは世界で最も高い山である。
上記の文に書かれたことが正しいとき、以下の文に書かれたことは正しいか。「正しい」、「まちがっている」、「これだけからは判断できない」のうちから答えなさい。
エルブス山はエベレストより低い
①正しい ②まちがっている ③判断できない』
これは、新井紀子氏が約2万5000人の中高生を対象に行った「基礎的読解力テスト」の例題です。【推論】という能力を測るための問いで、他に【同義文判定】、【イメージ同定】、【具体例同定】などさまざまなタイプの問題があります。
この問題の正答率は中1で4割、高2でも6割です。(念のため正解は①)
この結果を受けて新井氏は次のように警鐘を鳴らします。
『推論や同義文判定ができなければ、大量のドリルと丸暗記以外勉強するすべがありません。…(中略)…「エルブス山がエベレストより低い」かどうかわからない生徒は「富士山はエベレストより低い」「キリマンジャロはエベレストより低い」「クック山はエベレストより低い」……と、あらゆる例を覚えなければならないでしょう。つまり、「一を聞いて十を知る」ために必要な最も基盤となる能力が推論なのです。』
なるほど!
一生懸命テスト勉強をして覚えたはずなのに、テストで答えが書けない生徒が大勢いるのですが、つまりこれは「覚えたつもりなのにまだきちんと覚えきれていなかった」というわけではなく、「自分が覚えたこと」と「問いで聞かれていること」が同義だという【判断】ができなかったというわけなのですね。
だから、本人は一生懸命勉強したつもりだし、実際やってはいるのに、点数が上がらない・・・それはショックですよ。
覚えることが少ないうちはまだそれでも乗り切れるのかもしれません。しかし、だんだん量が多くなるとパンクしてしまう。そりゃそうです。「一から十まで」暗記するなんて人間には無理です。
そうなるとやはり、「読解力」をつけていかないと、点数はあがらないということになるのです。
そして、もうひとつ。
学校のテストの点数があがらないとか、希望の高校(あるいは大学)に受からないとかいうことよりももっと困ること。
『教科書が読めなければ、予習も復習もできません。自分一人では勉強できず、ずっと塾に通わなければなりません。けれども大学には塾はありません。社会にでればもちろんです。勉強の仕方がわからないまま社会に出てしまった人たちはどうなるのか。運転免許が取れなかったり、調理師になれなかったりするだけではありません。AIに仕事を奪われてしまいます。…(中略)…AIと共存する社会で、多くの人々がAIにはできない仕事に従事できるような能力を身につけるとための教育の喫緊の最重要課題は、中学を卒業するまでに、中学校の教科書を読めるようにすることです。世の中はには情報は溢れていますから、読解能力と意欲さえあれば、いつでもどんなことでも大抵自分で勉強できます。
今や、格差というのは、名の通る大学を卒業したかどうか、大卒か高卒かというようなことで生じるのではありません。教科書が読めるかどうか、そこで格差が生まれています。』
・・・どうですか?そんな大げさな、と思われますか?
私はそうは思いません。お父さん、お母さん方の世代では当たり前にできていたことが、今の子どもたちには難しいのです。
「読解力」は「理解力」「判断力」と言い換えてもいいかもしれません。
新井氏は「中学を卒業するまでに」とおっしゃっていますが、社会に出るまでにそうした力をつけておかないと、「教えてもらったことしかできない人」になってしまい、それはAIどころか外国人労働者でもロボットでもできる仕事しかできない、一番「いらない人間」になってしまう恐れがあるのです。
私はたかだか地方の小さな塾の経営者ですが、少なくとも自分が関わった生徒さんたちには、「今だけ」でなく、「将来も」幸せに生きていけることを願っています。いずれ私の手元を離れ、自分でいきていくときにきちんと判断ができるようにしてあげたい。
そのためには「今」かれらに何が必要か。
もうしばらくこの話題続きます。
次回は「じゃあどうしたらいいの?」です。