異文化交流クイズ、フォースシーズン「14歳のアメリカ人少女の見た明治開花」第5回は、クララはステキ英語力持ちwの福沢諭吉をして『彼には哲学的閃きがあって、下手な○○○○よりも役立つ』と評していますが、この『○○○○』に入る言葉は一体なんでしょう? という問題でした。
今回の正解は・・・『百科事典』、二文字ならば『事典』『辞書』でした。
「百科全書家」と云うのが当時のヨーロッパの知識人に対する褒め言葉として存在しましたので、クララの論評は最高級の評価と云っても良いでしょう。日本的に云えば「博覧強記」と云う意味とほぼイコールかな?
このシーンは短いのですが印象的ですので、書き出してみましょう。
『私は彼とゆっくり話をしたくなる。私が男の子だったら彼を教師として誇らしく思ったであろうがそれは不可能だ。彼には哲学的な閃きがあって、下手な百科事典よりも役に立つ。福沢氏は私のアルバムに「我々は文明の中に光を見いだすことは出来ない」「文明圏の中に文明を見出すことができない」と書かれた。随分と過激な台詞であるが、宗教心とは本来そう云うものなのだろう』
更にもう一つ印象的なエピソードとしては、南北戦争の英雄グラント将軍は、大統領退任後の明治12年、世界一周の過程で日本に数ヶ月滞在しますが、そのグラントも迎えての、森有礼の新邸宅のお披露目会での出来事。
出席者はグラント以外にも有栖川宮、西郷従道、大山巌、井上馨、田中不二麿、中村正直などなどが参加した豪勢なのものでしたが、その時の福沢の様子。
『ごわごわした袴で威儀を正した背の高い男らしい福沢氏は、周りの背の低い人々の上に聳えていた。この日出席した紳士型で和服は福沢氏だけだった。しかし立派な着物を召された姿は、体に合わない洋服を着て身のこなしのまずい他の紳士たちよりもずっと堂々とした威厳があった。福沢氏は思想上完全な革命を遂げられた』
自分たち欧米人とは微妙に価値観が違うことを認識しながらもクララが福沢を如何に高く評価していたかが分かる表現です。もっともこの直後にこんな一文があるから「……本当に尊敬してるのか?」と思ってしまう訳ですが。『彼は熊だけれども、やさしい熊である』w。
さて、今回は比較的真面目な話でしたので、次回は日本におけるクララの友達関係を御紹介。
今回の正解は・・・『百科事典』、二文字ならば『事典』『辞書』でした。
「百科全書家」と云うのが当時のヨーロッパの知識人に対する褒め言葉として存在しましたので、クララの論評は最高級の評価と云っても良いでしょう。日本的に云えば「博覧強記」と云う意味とほぼイコールかな?
このシーンは短いのですが印象的ですので、書き出してみましょう。
『私は彼とゆっくり話をしたくなる。私が男の子だったら彼を教師として誇らしく思ったであろうがそれは不可能だ。彼には哲学的な閃きがあって、下手な百科事典よりも役に立つ。福沢氏は私のアルバムに「我々は文明の中に光を見いだすことは出来ない」「文明圏の中に文明を見出すことができない」と書かれた。随分と過激な台詞であるが、宗教心とは本来そう云うものなのだろう』
更にもう一つ印象的なエピソードとしては、南北戦争の英雄グラント将軍は、大統領退任後の明治12年、世界一周の過程で日本に数ヶ月滞在しますが、そのグラントも迎えての、森有礼の新邸宅のお披露目会での出来事。
出席者はグラント以外にも有栖川宮、西郷従道、大山巌、井上馨、田中不二麿、中村正直などなどが参加した豪勢なのものでしたが、その時の福沢の様子。
『ごわごわした袴で威儀を正した背の高い男らしい福沢氏は、周りの背の低い人々の上に聳えていた。この日出席した紳士型で和服は福沢氏だけだった。しかし立派な着物を召された姿は、体に合わない洋服を着て身のこなしのまずい他の紳士たちよりもずっと堂々とした威厳があった。福沢氏は思想上完全な革命を遂げられた』
自分たち欧米人とは微妙に価値観が違うことを認識しながらもクララが福沢を如何に高く評価していたかが分かる表現です。もっともこの直後にこんな一文があるから「……本当に尊敬してるのか?」と思ってしまう訳ですが。『彼は熊だけれども、やさしい熊である』w。
さて、今回は比較的真面目な話でしたので、次回は日本におけるクララの友達関係を御紹介。
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