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【異文化交流クイズ】【4-9回答】クララの母が英語教師を依頼されていた大山巌の娘が後にモデルになった有名小説は?

2021-03-22 12:00:00 | クイズ
異文化交流クイズ、フォースシーズン「14歳のアメリカ人少女の見た明治開花」第9回はクララの母親アンナが生前大山巌に「娘に英語を教えて欲しい」と頼まれていましたが、この娘さん――大山信子は後に日本を代表する某有名作家の代表作のモデルとなりますが、その作家とは誰でしょう? という問題でした。
今回の正解は・・・『徳富蘆花』その代表作とは『不如帰』でした。
タイトルだけは日本史または国語の教科書で見たことがあるかも知れませんが、今では明治文学好きの方くらいしか読んでいないでしょうからサラっとあらすじを紹介。
『元々は望まぬ嫁ぎ先で結核に罹り、その頃には愛しあうようになっていた夫と無理矢理離縁させられ、僅か19歳で死に臨んだ際、「最早婦人なんぞに生まれはしませんよ」と言い残す話』
元を正すとこの小説、巷間に伝わった『最早婦人なんぞに生まれはしませんよ』という言葉だけをヒントに徳富蘆花が書き上げた「フィクション」なのですが、世間一般ではこの「小説」を「実録」「ノンフィクション」として捉えてしまったから小説のモデルに勝手にされてしまった関係者はさあ大変。
大山家だけでなく、嫁ぎ先の三島家(自由民権弾圧で元々悪名高かった三島通庸の家)を巻き込んで大炎上・・・という展開を見せるのですが以下省略。詳細を知りたい方はwikiなどで。
ともあれ大山巌とも山川捨松とも親しかったクララは、事の顛末はをどんな気持ちで見ていたことでしょう。
なお山川捨松と共に米留学した津田梅子はこの頃まだアメリカであり、その父津田仙とも大変仲の良かったクララが梅子と大の親友になるのももう少し先のことになります。
さて、本筋に戻りましてその後のクララですが。
ここまでの経緯を書けば予想できるかと思いますが、クララは弟のように可愛がってきた梅太郎と熱烈な恋愛結婚をすることになります。
が、結婚前後の所は残念ながら日記には記されていません。ただ実際は「あるけど公表できなかった」もしくは「廃棄した」という可能性もあるかと。
何故かと云えば・・・有名な『海舟日記』の該当部分を読めば大体事情が察せられるわけで。
明治19年4月9日分にこうあります。
『目賀田(逸子の旦那)、梅太郎の事につき内話、富田(ホイットニー家来日の最初のきっかけを作った人物)へ話さる由』
これはクララが「切羽詰まって」逸子に相談したことがきっかけのようです。
何故かと云えばこの時点で・・・『クララが梅太郎の子供を宿して既に六ヶ月』になっていたからであって。
今でこそ「できちゃった結婚」は全然珍しくありませんが、まだ明治の初めのことですし、しかも国際恋愛。
周囲にも梅太郎と『そう云う関係』になっていたことを隠していたわけで、戒律に厳しかったクララとしてはどんな心境だったのだろうかと。
ただ元々クララが勝家にとっては家族同然だったこともあって話はトントン拍子に進みます。
勿論それなりに色々あったことは短いながらも『海舟日記』から察せられますが、翌5月4日には婚礼のことまで滞りなく決まったようです。
明治19年9月1日、クララは梅太郎との子であり、海舟には孫にあたる男子を出産します。
名前は英語名はウォルター、日本名は梅久。
この後はもう年子のようなもので、長女和気(アデライン)、次女喜乃(ウィニフレッド)、三女幸(メーベル)、四女礼(エルザ)、五女勇(ヒルダ)と続きます。
つまり海舟は合計6人もの『青い目の孫』に恵まれたわけです。
ちなみに日本名は全て海舟が名付けたと云うことですから、やはり孫は本当に可愛かったのでしょう。
ですが・・・クララの人生は、そしてクララの子供達の運命はまだまだ流転していくことになります。
次回「14歳のアメリカ人少女の見た明治開花」最終回でその顛末を語らせて頂きます。


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