2019年夏、韓国社会は文在寅(ムン・ジェイン)大統領の最側近で、法相に任命された曹国 (チョ・グク)氏をめぐる汚職事件で大いに揺れました。中でも、とくに若者の関心を集めたのが曹国氏の娘が韓国の名門大学である、高麗(コリョ)大学に入学する際に起こした不正行為疑惑です。大学入試から就職先までつねに激烈な競争にさらされている若者たちからは、多くの怒りの声が聞こえてきました。朝日新聞編集委員の牧野愛博氏の著書『韓国を支配する「空気」の研究』を抜粋・再構成し、韓国社会に生きる若者たちの本音に迫ります。
私が韓国・ソウルに駐在していたころ、日本から来た知人が出すリクエストは大体、「観光ガイドに載っていない場所に行ってみたい」というものだった。私が連れていく食堂は大体決まっていて、海産物なら鷺梁津水産市場、肉類ならコプチャン(ホルモン)食堂だった。
でも、この2つもだんだん、観光ガイドやテレビ番組で取り上げられるようになって、知り合いから「もう行った」「聞いたことがある」と言われ、あまり通用しなくなった。飲食業やレジャー産業が日本のように発達していないのだ。あってもスターバックスなどの外資が目立つ。ソウル随一の観光名所の景福宮も史跡が残るだけで、京都や奈良のような付随する商店街は存在しない。
きっと、娯楽などを職業にすることへのためらいが、韓国の人々にはまだあるのだろう。また、韓国では毎年、最高気温が30度を超え始める5月になると、夕方から屋外でビールを楽しむ人々の姿が目立ち始める。代表的なおつまみはチキンだ。韓国ではよく、これを「チメク(チキンとメクチュ〈ビール〉の造語)」と言って楽しむ。
■韓国人はケンタッキーよりチキン専門店
2013年ごろ、銀行系の研究所が韓国にあるチキン専門店の現状を調べたところ、総数は3万6000余に上った。非登録の店やチキン以外の料理も出す店も合わせると、総数は5万を超えるという指摘もある。世界中のマクドナルドの店舗数を上回る数字なのだという。
おかげで、この国では日本のように「フライドチキン=KFC」という発想がない。クリスマスイブにKFCに客の列ができたところを見たこともない。チキン専門店があふれているから、KFCに韓国人の目が向かない。
競争も厳しい。街を歩けば、すぐにチキン専門店にぶち当たる。たいていの店が深夜まで営業し、配達もするなど、業態も似たり寄ったり。最近の10年間で新たに5万店以上が新規参入したが、チキン専門店の「平均寿命」は3年にも満たない。
専門家に話を聞いたら、「新規で店を始めようとする人たちは、20代と50代が多いのだ」と教えてくれた。過度な高学歴社会のため、大学進学率は7割を超える。若者は「高学歴の自分は中小企業なんかに行く人間じゃない」と思うから、若者の就職難が深刻化する。韓国の失業率は大体4%前後だが、19~29歳に限ってみれば10%ぐらいに跳ね上がる。自分が希望する仕事が見つからないから、自営業を選ぶことになる。
韓国は大企業でも定年までしっかり働かせてくれる企業は多くなく、50代で脱サラする人が結構いる。彼らも再就職がうまくいかず、やはり自営業を選ぶ。自営業で人気があるのがコーヒーショップとチキン専門店。どちらもある程度の資金があればなんとかなるからだ。フランチャイズに加盟すれば特別な技術も必要ない。だから、チキン屋が今も韓国で増え続けるのだ。
■韓国社会で蔓延してる「青年失業地獄」
私がソウルに住んでいたころ、若者の就職難を実感した場所はほかにもあった。ある日、当時小学生だった息子が、いつも通っている床屋にはもう行きたくないと駄々をこねた。いつも使っていた床屋は、韓国語しか通じなかったので、だんだんおしゃれ心が出てきた息子には不満だった。
「前髪をあんまり切らないで、後ろも刈り上げないで」といった細かい注文ができないからだ。大人も子供も1人1万ウォンでお手軽だったが、シャンプーもひげそりもないし、「髪が短くなれば満足」という程度の店だったので、息子の要求に従って日本人もよく行くお店に変えた。
そこは大人2万5000ウォン、子供1万5000ウォンだが、予約がきくので待たされないし、店も広々としている。肝心の言葉は韓国語だが、日本語ができるスタッフもいる。シャンプーもあるし、技術もまあまあで、息子はすっかり気に入った。
そこで、ちょっと驚かされたのが、若い人が大勢いたことだ。日本も美容院や床屋は若い人が働いているのだが、この店の場合、理髪係ではない若者の数が多かった。シャンプーだけする係とか、肩をもんでくれる係とか、お茶を運ぶ係とかだ。
これも、韓国で有名になった「青年失業地獄」の1つの光景なのだろうと思った。働き口を見つけるため、若い人たちは「スペック」と呼ばれる資格や特殊技能の取得に必死になる。それでも、求職者が満足する大企業や官公庁などの働き口は限られている。床屋だけではなく、大型スーパーやカフェなども若い従業員があふれているのが現状だ。これが激しい受験戦争の成れの果てというのでは、あまりにも悲しい。
また、「修繕屋」という商売も韓国ではあちこちで見かける。私もコートのボタンが取れてしまったとき、近所の修繕屋に走った。アジュンマ(おばさん)に見せると、お安い御用とばかりに、すぐに取り付けてくれた。値段は3000ウォン。ここでは、衣類の簡単な修理もすぐにやってくれた。誰でもすぐに商売が始められる小さな店が多いのは韓国の特徴の1つでもある。同じ経済水準の国に比べても倍ぐらいの多さだという。
前述したような「安い資金での起業」「女性や高齢者の働き口が限られている」などの事情があるが、「修繕屋」があちこちに存在する理由は、もう1つあるのではないか。韓国では財閥や大企業の支配力が強すぎて、中小企業が育たない風土がある。
■財閥や大手が強く、中小企業が育たない
例えば、韓国のコンビニは「4強」と呼ばれる大手4社系列の店がほとんどを占める。この系列のコンビニで商売を始めることは、ある意味、ノウハウや資金の一部を提供してもらえるので、魅力ではある。
他方、一度でもこの系列で商売を始めれば、途中で簡単にはやめられない。契約年数を満了しないでやめようとすれば違約金を取られるという。好立地で商売をしていれば、すぐに大手がやってきて競業店舗を作られて、潰されるケースもあるという。
だから、どこに行っても、同じ名前のコンビニがあちこちにある。韓国では地方の特色が少ないといわれる理由の1つがここにある。もちろん、働いているのは修繕屋と同じ小商工人なのだが、修繕屋の場合は大企業のフランチャイズという話は聞いたことがない。
だからまあ、大変な労働条件という点は変わらないが、コンビニに比べればいくらか気楽にできる商売とも言えるのかもしれない。ただ、「誰もがなりたい職業」ではないことも、また悲しい現実なのだ。
牧野 愛博 :朝日新聞編集委員
私が韓国・ソウルに駐在していたころ、日本から来た知人が出すリクエストは大体、「観光ガイドに載っていない場所に行ってみたい」というものだった。私が連れていく食堂は大体決まっていて、海産物なら鷺梁津水産市場、肉類ならコプチャン(ホルモン)食堂だった。
でも、この2つもだんだん、観光ガイドやテレビ番組で取り上げられるようになって、知り合いから「もう行った」「聞いたことがある」と言われ、あまり通用しなくなった。飲食業やレジャー産業が日本のように発達していないのだ。あってもスターバックスなどの外資が目立つ。ソウル随一の観光名所の景福宮も史跡が残るだけで、京都や奈良のような付随する商店街は存在しない。
きっと、娯楽などを職業にすることへのためらいが、韓国の人々にはまだあるのだろう。また、韓国では毎年、最高気温が30度を超え始める5月になると、夕方から屋外でビールを楽しむ人々の姿が目立ち始める。代表的なおつまみはチキンだ。韓国ではよく、これを「チメク(チキンとメクチュ〈ビール〉の造語)」と言って楽しむ。
■韓国人はケンタッキーよりチキン専門店
2013年ごろ、銀行系の研究所が韓国にあるチキン専門店の現状を調べたところ、総数は3万6000余に上った。非登録の店やチキン以外の料理も出す店も合わせると、総数は5万を超えるという指摘もある。世界中のマクドナルドの店舗数を上回る数字なのだという。
おかげで、この国では日本のように「フライドチキン=KFC」という発想がない。クリスマスイブにKFCに客の列ができたところを見たこともない。チキン専門店があふれているから、KFCに韓国人の目が向かない。
競争も厳しい。街を歩けば、すぐにチキン専門店にぶち当たる。たいていの店が深夜まで営業し、配達もするなど、業態も似たり寄ったり。最近の10年間で新たに5万店以上が新規参入したが、チキン専門店の「平均寿命」は3年にも満たない。
専門家に話を聞いたら、「新規で店を始めようとする人たちは、20代と50代が多いのだ」と教えてくれた。過度な高学歴社会のため、大学進学率は7割を超える。若者は「高学歴の自分は中小企業なんかに行く人間じゃない」と思うから、若者の就職難が深刻化する。韓国の失業率は大体4%前後だが、19~29歳に限ってみれば10%ぐらいに跳ね上がる。自分が希望する仕事が見つからないから、自営業を選ぶことになる。
韓国は大企業でも定年までしっかり働かせてくれる企業は多くなく、50代で脱サラする人が結構いる。彼らも再就職がうまくいかず、やはり自営業を選ぶ。自営業で人気があるのがコーヒーショップとチキン専門店。どちらもある程度の資金があればなんとかなるからだ。フランチャイズに加盟すれば特別な技術も必要ない。だから、チキン屋が今も韓国で増え続けるのだ。
■韓国社会で蔓延してる「青年失業地獄」
私がソウルに住んでいたころ、若者の就職難を実感した場所はほかにもあった。ある日、当時小学生だった息子が、いつも通っている床屋にはもう行きたくないと駄々をこねた。いつも使っていた床屋は、韓国語しか通じなかったので、だんだんおしゃれ心が出てきた息子には不満だった。
「前髪をあんまり切らないで、後ろも刈り上げないで」といった細かい注文ができないからだ。大人も子供も1人1万ウォンでお手軽だったが、シャンプーもひげそりもないし、「髪が短くなれば満足」という程度の店だったので、息子の要求に従って日本人もよく行くお店に変えた。
そこは大人2万5000ウォン、子供1万5000ウォンだが、予約がきくので待たされないし、店も広々としている。肝心の言葉は韓国語だが、日本語ができるスタッフもいる。シャンプーもあるし、技術もまあまあで、息子はすっかり気に入った。
そこで、ちょっと驚かされたのが、若い人が大勢いたことだ。日本も美容院や床屋は若い人が働いているのだが、この店の場合、理髪係ではない若者の数が多かった。シャンプーだけする係とか、肩をもんでくれる係とか、お茶を運ぶ係とかだ。
これも、韓国で有名になった「青年失業地獄」の1つの光景なのだろうと思った。働き口を見つけるため、若い人たちは「スペック」と呼ばれる資格や特殊技能の取得に必死になる。それでも、求職者が満足する大企業や官公庁などの働き口は限られている。床屋だけではなく、大型スーパーやカフェなども若い従業員があふれているのが現状だ。これが激しい受験戦争の成れの果てというのでは、あまりにも悲しい。
また、「修繕屋」という商売も韓国ではあちこちで見かける。私もコートのボタンが取れてしまったとき、近所の修繕屋に走った。アジュンマ(おばさん)に見せると、お安い御用とばかりに、すぐに取り付けてくれた。値段は3000ウォン。ここでは、衣類の簡単な修理もすぐにやってくれた。誰でもすぐに商売が始められる小さな店が多いのは韓国の特徴の1つでもある。同じ経済水準の国に比べても倍ぐらいの多さだという。
前述したような「安い資金での起業」「女性や高齢者の働き口が限られている」などの事情があるが、「修繕屋」があちこちに存在する理由は、もう1つあるのではないか。韓国では財閥や大企業の支配力が強すぎて、中小企業が育たない風土がある。
■財閥や大手が強く、中小企業が育たない
例えば、韓国のコンビニは「4強」と呼ばれる大手4社系列の店がほとんどを占める。この系列のコンビニで商売を始めることは、ある意味、ノウハウや資金の一部を提供してもらえるので、魅力ではある。
他方、一度でもこの系列で商売を始めれば、途中で簡単にはやめられない。契約年数を満了しないでやめようとすれば違約金を取られるという。好立地で商売をしていれば、すぐに大手がやってきて競業店舗を作られて、潰されるケースもあるという。
だから、どこに行っても、同じ名前のコンビニがあちこちにある。韓国では地方の特色が少ないといわれる理由の1つがここにある。もちろん、働いているのは修繕屋と同じ小商工人なのだが、修繕屋の場合は大企業のフランチャイズという話は聞いたことがない。
だからまあ、大変な労働条件という点は変わらないが、コンビニに比べればいくらか気楽にできる商売とも言えるのかもしれない。ただ、「誰もがなりたい職業」ではないことも、また悲しい現実なのだ。
牧野 愛博 :朝日新聞編集委員