何度も言いますが、自分だけを犠牲にするのは、ご法度ですよ
自分を愛するように(同時に)隣人を愛しましょう、とありますよね
自他同時幸福、三方良しです
口実を設けて誰かだけにひどい損をさせ、自己犠牲をさせるのは、アクニンの作戦です
同時博愛こそ、神の願いです
改ざんされたかもしれない部分はよく吟味することです
…ところで先ほどはふくらんだパンの話をしましたが、この食事の時は儀礼通り平たいパンで、発酵していなかった
それを師は取り、裂いて仲間達に与えた
この意味は色々にとれますが、私はこう考えます
(もちろん、後の悲劇的な運命などを表していますが、もう一つ別の比喩的な意味があるとしてです)
…ふくらまない平たいパンは、目覚めていない魂を表します
不平不満を持ち、利己主義であったり、我欲や悪徳、憎しみの塊であったりですね
これをふくらますには、どうしたらいいのでしょう
…特に、最悪の状況にいる、沈んだ重い魂のサタン達のことを、私は言っています
人間なら、そこまでほとんどの人は悪くありませんから、どこかに小さなパン種(良心)を持っています
少しでも、魂のふくらむ余地はあるものです
例えば、他人には冷たくても、家族には優しい、とかですね
しかしサタン達は愛そのものを完全否定していますから、互いに憎しみ合い、争い倒し合います
バラバラに住んでいるのも、そのためです
…で、私はそのような最悪のよこしまなもの達を救えと、神さまから厳命されておりましたので、その事も人々に伝えたかったのですが、人間にはサタン達が見えないので、時折暗示するしかなかったのです
…そこで、私は種(=良心)のないパン(=サタンの幽体を意味する)を引き裂き、一旦壊す仕草をしました
これは、特に頑迷なサタンのお祓いをする時、清い気の衝撃波動を与えてサタンの幽体を粉々にしてから、幽体を正しく再構築してやるやり方があるからです
…私はその後、今度はぶどう酒を皆に分け与えました
これは、何を意味するか
パンは無発酵ですが、ぶどう酒は発酵物です
…つまり、腹に入れた無発酵のパンに発酵体のぶどう酒を注ぐことで、種なしのパンは腹の中で発酵体に変わるという、暗示、比喩なのです
…私は良心のないサタン達(=種なしパン)であっても、良い気の波動(=発酵ぶどう酒)を与えることで、幽体が再構築され、身軽になって昇天できるということを表したかった
…と共に、これから苦難の道を歩くであろう仲間達に、このようにサタンの誘惑があっても清き心で打ち負かしなさい、という意味を込めました
…ですから、表向きは「師の体、血」という比喩が用いられましたが、もしかしたら裏では「サタンと清め」、という意味があったかもしれないのです
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