パンの話に戻ると、ユダヤ民族は昔エジプトを脱出した時にパンを発酵させて焼く暇がなく、パン種の無いパンを食べてしのいだ
その時の体験から、それを記念した過越しの祭では、発酵させないペチャンコのパンを食べる慣わしがあると言われる
それは縁起かつぎとしてはいいことであると思うが、私の言いたいことは別にある
マタイの福音書第13章に、こう書いてある (要約)
天国は一粒のからし種のようなものである
畑にまくと、とても小さな種なのに、どの野菜よりも大きな木になり繁る
また、天国は小さなパン種(イースト菌)のようなものである
40リットルの粉に入れると、ふくらませることができる
…この言葉から、師は決してパン種を縁起の悪いものとしてはとらえていないことがわかる
そこで、私の意見:
この例えのパン種とは何だろうか
真理を表す神の言葉は、必ず人の心をとらえ、多くの人に広まって行く……でもよいし、
人の心を幸せでいっぱいにし、天国にいるような気分にしてくれる……でもよいだろう
だが、私の言いたいことはそういうことではない
前にも私の仲間が言いましたが、人は
弱い者への優しさ、冷静平常心、博愛公平、清廉貞潔の4要素を同時に身につけると、幽体(=心、魂)が安定して落ち着きます
この時、幽体を構成する気の粒子群のもやは自然に練られていて、均一になり、良いパン生地のように薄くふくらみやすくなります
これがたとえでいうと、(良い)パン種を粉に入れると、上手に大きくふくらむ、ということなのです
魂が偏りなくきれいにふくらむということは、我欲にとらわれず、四方八方の周りの人の事を考えて心が広がり、無私公平博愛に振る舞っている様子を表します
この時、ふくらんだ魂(気のもや)は気の粒子の数は変わらないが、互いの距離が等しく広がり密度が薄くなるので、自然もやは軽くなります
これが、心が平穏で澄み渡り、軽やかになるということです
良いパンのように形よく軽くふくらんだ魂は、神様の望まれる理想なのです
…ですから、
パン種=良い心がけ
ふくらんだパン=きれいに広がることのできる幽体(=魂、心)
(幽体は安定して緊密に縮むこともできる)
この状態が、人の心を天国のように幸せにします
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