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中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信します

陸上自衛隊松戸駐屯地 飛行場とパイロット養成所の痕跡を探す 後編

2024-12-14 | 東京を歩く

一般開放日に松戸駐屯地を歩く続きです。

施設の一角の目立たない場所に、石碑が並んでいました。



いかにも曰くありげです。7つあります。これはなんでしょうか。

一つ一つ覗き込んでいきます。



「闘魂」だそうです。

裏面を見てみます。



「第四期機関生徒卒業記念 昭和十九年九月二十五日」とあります。

卒業生と思しき30人の苗字が並んでいます。



「雄鵬」




「第一期普通科操縦生徒 昭和十九年九月二十五日」

こちらも名前は苗字だけです。



「育翼雄飛」




「第二期機関生徒卒業記念樹 昭和十八年二月二十七日 教官櫻 南方櫻(生徒舎)入口前」とあります。

「南方櫻」とはなんのことでしょうか。当時、陸軍が南方地域内の航空輸送を確保するために開設した「南方航空輸送部」という部隊があったそうですが、ここに配属された卒業生を指しているのでしょうか。



この漢字文字はなんと読むのでしょうか。



「第一期普通科整備生徒  昭和二十年三月二十四日卒業記念」とあります。

昭和203月といえば、東京大空襲があった頃です。すでに首都決戦が始まっています。

松戸飛行場は帝都防衛の最前線の役割を担ったはずです。



昭和十六年三月



「友」とあります。これは石碑が割れてしまい、下の部分だけが残ったのでしょうか。

これら7つの石碑は、いずれもここが戦時下にパイロット養成所だった頃の卒業記念でした。まさしく歴史の証人です。

石碑の位置は格納庫から滑走路に繋がる場所ですから、最初からここにあったわけではなく、後にここに移されてきたのでしょう。

ここに名前が刻まれた卒業生は、卒業後はどんな運命をたどったのでしょうか。

駐屯地の敷地内には開放された施設の見学を楽しむ客がたくさんいますが、この石碑の前で立ち止まる人の姿はありません。

石碑を見つめていると、戦時下だった当時の時代の空気が静かに伝わってくるようです。

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