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1. 近代国家における憲法の起源から:「憲法の目的/存在理由」について
2. 近代国際法の起源=ウェストファリア条約の思想史的意義
3. 大日本帝国憲法の問題その1:「憲法」概念への見識の欠如
4. 大日本帝国憲法の問題その2:宗教と国際情勢への見識の欠如
5. 憲法の賢明/誠実な運用への努力は拙速/拙劣な憲法条文いじりに優先する
更新履歴
はじめに^
表題は非常に大きな主題なので、本記事で「論じ尽くす」といった事は、全く考えていない。
昨今の憲法改正論議において、{無視、見落と}されがちな基本的論点の確認を意図している。
1. 近代国家における憲法の起源から:「憲法の目的/存在理由」について^
(成立時期は中世なのだが)マグナ・カルタは、近代国家憲法の基本的構成要素を含む最初の
成文法である。なお、マグナ・カルタは(その後の近代法学的解釈を運用上の前提としてだが)
*今もって有効で、英国憲法の重要な構成要素*である。*法の支配*という大原則の確認や、
為政者の徴税権への法定主義による制限、法または法に基づく裁判の判決によらず自由、生命、
財産への侵害を禁止するといった原則が最初に明示的に述べられた事自体に重要な意味がある。
やはりイギリス発で、「名誉革命」時に「権利の請願」をベースに「権利の章典」が成立した
ことも重要。どちらも為政者の暴政や失政(特に戦争費用の野放図な増大)に対する歯止めを
作ることが、成立への動きにおいて直接かつ最大の動機であった。
「国家形態の基本的枠組みを規定する成文法」という意味での憲法は、アメリカ独立戦争の結果
であるアメリカ合衆国憲法と、フランス革命で提案された1791年憲法の2つが、最初期のもの。
それぞれ旧宗主国が一方的に課した重税、旧支配層の苛政からの政治的脱出=独立/革命の成果
を維持し、かつ、将来の政権が行う恐れのある暴政への歯止めを意図した内容になっている。
特に、アメリカで「権利章典(修正1条-10条)」、フランスで「人権宣言」が、憲法の思想的
中核に位置付けられた事が重要な意味を持つ。
古代中国「法家」の頃から、法律(成文法)は「性悪説」を基礎にしている。近代の憲法は、
本来的に為政者を規制する法律であり、「為政者性悪説」が基礎になる。つまり、*為政者の
愚行/悪行への歯止めとしてうまく機能するか否か*が、憲法を考える上での大前提になる。
なお、本来なら言うまでもないはずだが、日本古代の「十七条憲法」は、「官吏の行動規範」
であって、近代国家の憲法と字面以外で重なる部分は無いに等しいから、現代の憲法論議で
引き合いに出すのは無意味である(constitution を「憲法」と訳したのがマズかったでのは?)
2. 近代国際法の起源=ウェストファリア条約の思想史的意義^
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴェストファーレン条約
「ラテン読みでウェストファリア条約とも呼ばれる。近代における国際法発展の端緒となり、
近代国際法の元祖ともいうべき条約である。
この条約によって、ヨーロッパにおいて30年間続いたカトリックとプロテスタントによる宗教
戦争は終止符が打たれ、条約締結国は相互の領土を尊重し内政への干渉を控えることを約し、
新たなヨーロッパの秩序が形成されるに至った。」
https://rinto.life/121912
「ルネサンスから宗教改革と続いたヨーロッパの社会の流れは、三十年戦争とその講和条約と
なったウエストファリア条約によって新しい段階に入りました。この条約以降、中世から絶対
王政時代へ、さらに近代社会へとつながっていったのです。」
https://akademeia-literacy.com/international-relation/westphalian-sovereignty/
「・新教徒・カルヴァン派の信仰が認められる」
「ウェストファリア体制の最も重要な特徴は「主権国家体制」の確立です。
主権国家体制とは、
国家権力を最高権力として、国家間の関係を対等なものと考える国際システムです。」
「カトリックとプロテスタントによる宗教戦争の終焉」と「主権国家体制の確立」は、単なる
国際政治上の出来事としての意味だけでなく、ヨーロッパにおける「近代人」の内面的変容の
契機として重視すべき事に、注意を喚起しておきたい。すなわち、ローマ帝国でキリスト教が
広まって以来初めて、異なるキリスト教分派間の教理の違いが政治の場で相対化された事で、
「キリスト教世界における「反ユダヤ主義」の起源について」の記事での「主張 (A)」に付随
していた切迫感/緊張感の「糸が切れた」状態が、各国の為政者だけでなく、最終的には民衆
レベルにも広がったと考えられる。すなわち、個人レベルでの「信教の自由」を社会的に許容
し得る思想的土壌が形成された契機はウェストファリア条約だと、筆者としては確信している。
さらに、「ウクライナ紛争関連の言説に多く見られる認知バイアスへの対応策」で言及した
認知バイアスのうち、特に国民レベルの「内集団バイアス」の向かう先が、「国教」ではなく
「主権国家」に変化したことが、「ナショナリズム」の発生契機だとも、信じる次第である。
3. 大日本帝国憲法の問題その1:「憲法」概念への見識の欠如^
以下では、大日本帝国憲法を「明治憲法」、明治時代から第二次世界大戦の敗戦までの日本を
「明治国家」と呼ぶことにする。
さて、日清戦争を皮切りに明治国家が起こした対外戦争は、全て明治憲法の下で遂行された。
つまり、明治憲法は、1. で述べた「為政者の愚行/悪行への歯止め」として機能しなかった。
一般的な日本近代史の記述では(「統帥権」の語義の曖昧さに起因する)「統帥権干犯問題」と
「軍部大臣の現役武官制」以外には「制度上の問題」について言及されていない事が多い。
しかし、筆者の見解では、明治国家は基本的な制度的欠陥が数多くあり、かつ、それら諸問題
には、憲法が適切に制定されていれば、さらに適切な運用もされていれば、回避できたものが、
かなりある。さらに言えば、重大な制度的欠陥が生じた根本原因として、いわゆる「元勲」の
見識不足や人格的な問題を指摘せざるを得ない。「司馬遼太郎」の小説により広まったらしい
「明治国家への通念」は、率直に言って、歴史的事実から遠い「ファンタジー」に過ぎない。
まず、戊辰戦争は「倒幕派」が権力の独占のために起こした「百害あって一利なし」の戦いで
*建国理念*の名の下に正当化できる要素など「かけらもない」と言っておこう。この内戦は、
単に人数としても少なからぬ(公式の数字では1万数千人とされる)死者を出しただけでなく、
幕府方の*極めて有能な行政官たち*を(どさくさ紛れに、まともな裁判すらなく)殺害した
ことで、明治国家の制度設計に致命的な悪影響を及ぼした。特に惜しまれるのは、小栗上野介
である。卓越した財政手腕、ただ一度の洋行で西欧文明の強力さの要因の数々を把握した逸話
(例えば、一本のボルトを工業生産の象徴として持ち帰った話)、論理的思考力の高さを示す
逸話(例えば、日欧間の金貨銀貨の交換比について成分測定に基く改定を主張し、交渉相手を
うならせた話)や事績の数々を知ると「彼さえ生きていれば、日本の近代化に「元勲」などは
誰一人として、出る幕はなかった」と思えて来る。
2022-08-10 追記: 戊辰戦争直前の赤松小三郎殺害も、近代日本にとって痛恨の出来事。
そもそも「元勲」たちは、尊王攘夷という名のテロ活動に忙しく、藩レベルでの内政実務経験
すら皆無/不十分だったわけで、国家レベルの行政手腕を期待する方が間違いだろう。
ちなみに、渋沢栄一が明治政府を離れ民間で活動するようになった契機の一つは、財務官僚と
して勤務中、元勲との会話で、あまりの財政感覚の欠如ぶりに呆れたからだという話もある。
「元勲」中での「人格者」の代表であるかのように言われている西郷隆盛が、戊辰戦争開始に
向けた挑発のために江戸での放火を組織していた件について、言及されることは稀であるほか、
いわゆる「官軍」の東進中、海戦での幕府方死者の死体回収を「官軍」の指揮者が認めない事で
地元漁民が困り果てているのを見かねた「清水の次郎長」による死体回収の逸話は、「官軍」が
「ヤクザ以下」の連中により指揮されていた事=人格的問題の一例である。
明治憲法自体の問題に話を戻すと、そもそも「欽定憲法」である事と、制定の動機が「不純」
つまり「「不平等条約改正」のために体裁を整える」ことが目的だったために「制度設計」と
してのツメが甘くなっている事が、まず挙げられる。つまり、「為政者性悪説」に基づいて、
「愚行/悪行への歯止め」を設計することなど不可能に近い制定過程が採用されてしまって
いる。いわゆる「私擬憲法」のアイデアを取り入れる度量が「元勲」にあれば、あるいはまた、
大隈の主張したイギリス型(=議会制/立憲君主制)志向案が採用されていれば、「拙速」に
由来する問題点があっても、なんとか運用でカバーして、昭和期になっての国政の迷走ぶりが
あそこまで悲惨な事にならなかったかも知れない。ここでも、「元勲」の人格的問題が一因に
なっている。つまり、単なる権力欲で政権を取ったため「国家の未来像に対するビジョン」が
欠けていて、*自分(たち)が権力の座から去った後の国政がどうなるかなど考えていない*
事が、制度設計上の欠陥につながっていると、筆者は考える。「軍部大臣の現役武官制」や、
「統帥権」概念の曖昧さ(「軍政権」との区分。そもそも、「内閣の権限」自体が曖昧な事)
の背景には、「「元勲」である自分達の制度外(ある意味超法規的な)権力にしか関心がなく、
「国家百年の計」という発想がない」という思想/志操の低さがある。小栗上野介が「幕府の
先行きが怪しい中、横須賀に造船所を作ってどうする」と聞かれて「幕府の運命に限りがある
とも日本の運命には限りがない」と返した事と比較して、あまりの小物ぶりに呆れるほかない。
明治憲法の基本的な欠陥は「権限」と「責任」の所在が異なる、さらに言えば「政策(=権限
行使)の結果を評価し、評価結果に基づいて責任を取る」仕組みが欠如している点」にある。
日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、満州事変、ノモンハン事件 ... において、「戦訓」を
まとめようとした形跡すらなく、国家経済/国民生活に対する影響を評価しようとした形跡に
至っては、かけらも見られない。そもそも、「天皇に全ての権限がある」という体裁を取って
いるにも関わらず、天皇が実際には為政者として振る舞わないのでは、いわゆる「君側の奸」
による政治を奨励しているようなものだ。「天皇に全ての権限がある」という体裁を取るなら、
北一輝、あるいは、その思想的影響を受けたとされる 2.26事件の犯人達が主張する「親政」の
方が、少なくとも*論理的整合性*がある分、多少は国政の迷走度が少なかった可能性はある。
ただし、筆者としては、そもそも「欽定憲法」では、1. で提示した要件がクリアできないと
考える。他国の「欽定憲法」の例を見ると、日本が明治憲法策定時に参考にしたプロイセン
憲法は(ビスマルクという稀有な外交手腕の持ち主ではなく)ウィルヘルム2世が「親政」を
開始した後、第一次大戦に向かう道への歯止めとして機能しなかったという悲惨な事例がある。
また、タイ王国の憲法は、現存する「欽定憲法」の数少ない例だが、国政混乱の歯止めとして
役立っている気配は全くない。
4. 大日本帝国憲法の問題その2:宗教と国際情勢への見識の欠如^
明治の「元勲」は、当初は「古神道」を「国教」という位置づけにしようとしていたフシが
ある。例えば「神祇省」なんてものが設置されていた事、非常に長い歴史的時間続いてきた
「神仏習合」の伝統を否定し、「神仏分離令」を出して「廃仏毀釈運動」による取り返しの
つかない規模の文化破壊を招いた事を挙げておけば、証拠として十分だろう。宗教(というか
日本の伝統文化)に多少とも見識があれば、福沢諭吉のように「日本の精神文化の基本部分は
仏教によって構成されている。にわか仕立ての「古神道」のような思想的内容に乏しいものを
持ち出しても何もできない」事くらい、大規模な伝統文化破壊を招く前に分かったはずだ。
また、古神道という「宗教」を持ち出した理由は、江戸幕府が長年続けたキリスト教禁令の
動機であった「キリスト教の宣教=侵略工作」という観念に囚われていたために、対抗策と
して「宗教には宗教」と考えたという側面もある。例えば、当初はキリスト教禁令を続けて
いたことが、その傍証である。つまり、2. で述べた西欧の思想状況や国際情勢の変化を認識
できていなかった。このため、「天皇の神聖性/絶対性」について、むやみに観念的な言葉を
並べることに気を取られ、実際的な制度設計の側面を軽視してしまった。
最終形として「天皇=現人神」の国家*神道*を「(予定していた)古神道」の代替物として
デッチ挙げ、「国家の思想的中核」にしようとしたわけだが、この結果、「反知性主義」の
傾向を国家として助長してしまった。明治国家において、自然科学分野で世界水準に並ぶ業績が
出せなかった日本が、第二次大戦後には立て続けにノーベル物理学賞を出したことなどからも、
明治国家の反知性主義の弊害は明らかだ。純軍事的な敗北の要因にも、レーダー軽視や精神論の
横行による合理的な戦術/戦略分析の欠如が、*軍の上層部にまでも蔓延していた*といった
要素が挙げられる。ちなみに、満洲国へのリットン調査団の報告は、合理的に戦略分析すれば、
受け入れ可能な程度に、日本の主張にも配慮されていたという話もある。さらに言えば、領土を
拡大する「古いタイプの帝国主義」は、冷静に経済効果を分析すれば(道徳や倫理とかでなく)
損得勘定だけからも「やめた方がいい」という主張(「小日本主義」)もあったくらいなので、
火事場泥棒のような「21か条要求」とか、冷静に国際政治を「力関係」で分析すれば、さっさと
諦めるくらいの判断は、できてもよかった。
しかし、そうした冷静な分析を可能にする政治風土は、明治憲法に由来する政治制度の欠陥に
より、実現しなかった。
5. 憲法の賢明/誠実な運用への努力は拙速/拙劣な条文いじりに優先する^
プロイセン憲法は「欽定憲法」であるという基本的問題を抱えていたが、ビスマルクが運用
している間は、それらの問題が表面化しなかった事に 3. で言及した。
現行の日本国憲法は、前述の通り、欠陥まみれである明治憲法やプロイセン憲法に比べると、
はるかに「スジがよい」内容なので、拙速/拙劣な変更で「長所を台無しにする」リスクを
取るべき理由には、思い当たらない。例えば、9条を変更して「集団的自衛権」を何も歯止め
なしに発動できるようにするといった試みは、かえって国家の安全を損なうリスクがある事に
鈍感な議論が多過ぎる。第一次世界大戦が*世界大戦*になってしまったのは、各国が相互に
安全保障条約を締結していた結果、宣戦布告の連鎖が発生したためという歴史の教訓は決して
忘れるべきではない。
また、「緊急事態条項の導入」は、1. で分析した通り、「リスクしかない」。そもそも、
ワイマール憲法下でナチスが権力を掌握していく過程において、「大統領の緊急時権限」が
大きな役割を果たした事は、よく知られている。
「緊急事態条項」と「(通称)全権委任法」の違いを挙げて、さも「緊急事態条項」が無害で
あるかのように(歴史への無知に付け込んで)印象操作する意図がミエミエの議論が多い。
おまけに、「改正内容」についての政権与党案全体として、どこもかしこも、欠陥まみれの
明治憲法を連想させる、曖昧な文言のオンパレードになっている。
そもそも、歴史上「緊急事態条項が悪用された」例はクーデターで成立した軍事政権の数々の
ため枚挙に暇がないほどだが、無いために実際上の問題が生じた事例には、心あたりがない。
多くの「緊急事態」は、「具体的な事態を想定して慎重に構成された個別法」によってのみ、
適切な対処が可能である。現行憲法や既存の法律の活用、さらには緊急時に適切な立法を行う
能力のない政権に「フリーハンド」を与えれば、悪用される予感しかしない。下記参照。
https://reiwa-shinsengumi.com/comment/12102/
コロナ騒動でも、緊急事態条項が取り沙汰され、例えば、「基本的人権を制限できないから、
隔離が実施できていない」とかいった詭弁が横行していたが、デタラメであることは明らか。
現行憲法下で成立した「らい予防法」による*不適切に過剰な基本的人権の制限*の問題を
考慮するだけで、すぐウソと分かることをトクトクとして述べる恥知らずが、結構多かった。
https://www.hansenkokubai.gr.jp/link_qa/
また、「弾力的な予算措置のためには...」とかいった議論もあったが、「緊急の予算措置が
必要なら、コロナ禍を「災害」と定義して、災害対策基本法を使えばよい」という、弁護士の
団体からの提案が、下記の例外を除き、まったく顧みられなかった事との整合性がない言論と
評さざるを得ない。
# 「新型コロナウイルス感染症の流行」を「災害」に指定して災害対策基本法を適用すべき
# だったという趣旨の街頭演説。
http://www.asyura2.com/20/senkyo273/msg/490.html
# 弁護士が集団で提案している案なので法的に根拠のある話。
https://news.yahoo.co.jp/byline/okamototadashi/20200419-00173476/
https://toyokeizai.net/articles/-/345817
https://hitorihitori.jp/archives/444
# 法律のプロらしい見事な発想で名案。埋もれていたのが、残念。この案を掘り起こした事は
# それ自体、政治的功績と評価してよいと考える。^^;