1. アインシュタイン対ボーア論争での「勝者」と「より正しかった側」
https://en.wikiquote.org/wiki/Mahatma_Gandhi
Young India, November 24, 1927, as quoted in A Survey of Hinduism
by Klaus Klostermaier, p. 376.
"An error does not become truth by reason of multiplied propagation,
nor does truth become error because nobody sees it. Truth stands,
even if there be no public support. It is self sustained."
「https://ja.wikiquote.org/wiki/マハトマ・ガンジー」の訳文に少し不満だったので、
↓Google 翻訳での和訳結果を部分的に変更。
「誤りは、たとえ何度伝えられたとしても、真実になるわけではありません。また、
真実は、誰にも見られなかったからといって、誤りになるわけではありません。
真実は、たとえ世間の支持がなくても、存続します。真実は自立しているのです」
量子力学の一般向け解説書の中には、「アインシュタイン対ボーア論争の勝者」をボーアと
する論調で書かれているものが、しばしばある。「論争の勝者」を「周囲に与えた印象」で
評価すれば、そういう判断をすることも不合理とは言えないだろう。
しかし、「発言の物理学的内容の正しさ」を基準にすると、ボーアの議論の方に問題が多く、
判定は逆になるように思われる。
吉田伸夫の「思考の飛躍 アインシュタインの頭脳」から判断根拠にした箇所を引用する。
1.1 「相補性原理」について
ボーアが主張した「相補性原理」は「実際には、成立していない」と、アインシュタインが
考案した思考実験の詳細な検討で判明。
p.164
「第5回ソルヴェイ会議」
p.166
「相補性原理によれば、粒子性と波動性は決して同時に現われないという」
「アインシュタインは…粒子性と波動性が共存するような実験のセットアップを
考案し、ボーア陣営に再考を迫った」
p.169
「二重スリットの "どちらを通ったか実験" (which-path experiment) が難しいのは、
スリット近くに測定装置を取り付けて電子が通過したか…判定する…通常の手段が
許されないため」「こうした測定装置を設置すると干渉縞が消えてしまって、波動性と
粒子性を同時に観測する…目的が達成できなくなる」
p.170
「電子の位置を測定せずに、どちらのスリットを通ったのか判定できる…実験を考案」
p.171
「スリットを通過した後…干渉縞を生ずるためには、電子は…スリットを通り抜けた
地点で運動の向きを変えなければならない」「回折と呼ばれる…現象…粒子描像で
考える…電子がスリット板から横方向の力を受けて運動の向きを変えたことになる」
「作用・反作用の法則…スリット板は電子から力を受ける…電子が…どちらの
スリットを通ったかによって…スリット板が受ける力も、異なる」
p.175
「ボーアらの反論では、スリット板が完全に固定されて干渉縞が生じるときには電子が
どちらを通ったか分からず、どちらを通ったか確定するときには干渉縞が消えると主張
されていた」「両極端ではなく中間的なケースが問題」
p.176
「99%の確率で通り道がわかるときでさえ…縞模様は残っている」
pp.176-177
「アインシュタインの思考実験は…相補性原理の反証になっていた」
p.177
「相補性原理は過度に厳しすぎる」「位置を測定すると干渉縞が消えるのは…単に…
干渉が生じる条件が満たされなくなるから…相補性原理が…成り立つ証拠にはならない」
1.2 「不確定性関係」について
p.178
「第6回ソルヴェイ会議」
「アインシュタイン」:「ハイゼンベルクの不確定性関係…現象論…に過ぎない」
「特殊相対論…原理的な理論においては…空間的な量と時間的な量…に…4次元的な
結びつきがなければならない」
「ハイゼンベルクの提案した不確定性関係は、粒子の位置と運動量だけに関するもので、
時間とエネルギーが現われておらず、4次元的な関係式になっていない」
p.179
「ボーア」:「不確定性関係…原理的」
p.180
「アインシュタイン」:「相手側の主張に内在する基本的な欠陥を明確に指摘」
「ボーアの反論…場当たり的…物理学的正当性に欠ける」
p.182
「時間・エネルギーの不確定性関係」:「ΔtΔE≈h」
「ボーア」:「シャッター付きスリットを使った実験で解釈」
p.184
「時間・エネルギーの不確定性関係は実際には成立しておらず、量子力学は特殊相対論の
要請を満たしていない」
「アインシュタイン」:「ボーアが提案したシャッター付きスリットの実験を…そのまま使い、
時間とエネルギーが同時に確定できる」「装置全体のエネルギーを議論」
p.185
「箱の質量を測定するために使える時間が…半無限…放出…前後…箱のエネルギー差…
不確定性なしに…決定」「狂いのない時計…放出時刻…正確に決定」
「したがって…時間・エネルギーの不確定性関係は成り立っていない」
p.186
「ボーアの反論…一般相対論を援用…理解できない議論を展開」
p.187
「この反論は…正当化できるものではない」「いまだ量子力学が適用されていなかった
重力理論を持ち出す論争のルール違反」「関係式を導く過程で不可解な論法を採用」
p.188
「位置・運動量の不確定性関係…量子力学の原理から…導出できる」
「(時間・エネルギーの不確定性関係)は原子核の崩壊や素粒子の反応といった個々の
ケースに関して導かれるだけ…4次元の関係式を構成しているのではない」
「不確定性関係…特殊相対論の要請を満たしていない…アインシュタインの予想通り」
p.189
「特殊相対論の要請を満たす…量子場の理論…不確定性関係…粒子の位置と運動量
ではなく、量子場に関する4次元的な関係式として導入」
「量子力学で扱われる粒子…量子場の励起状態の振舞いを近似…量子力学が特殊相対論の
要請を満さない現象論だというアインシュタインの批判は、完全に正しかった」
2. 「神はサイコロを振らない」発言の「真意」は?
「神はサイコロを振らない」は隠喩、暗喩、メタファー、アレゴリー…という種類の比喩。
∴その意味は発言の文脈に依存する。Wikiquote で文脈を含めて見ることができる。
https://en.wikiquote.org/wiki/Albert_Einstein
初出のドイツ語原文:
"Die Quantenmechanik ist sehr achtung-gebietend. Aber eine innere Stimme
sagt mir, das das doch nicht der wahre Jakob ist.
Die Theorie liefert viel, aber dem Geheimnis des Alten bringt sie uns
kaum naher.
Jedenfalls bin ich uberzeugt, das der nicht wurfelt."
英訳:
"Quantum mechanics is certainly imposing. But an inner voice tells me that
it is not yet the real thing.
The theory says a lot, but does not really bring us any closer to
the secret of the "old one."
I, at any rate, am convinced that He does not throw dice."
Letter to Max Born (4 December 1926); The Born-Einstein Letters
(translated by Irene Born) (Walker and Company, New York, 1971) ISBN
0-8027-0326-7.
Einstein himself used variants of this quote at other times.
For example, in a 1943 conversation with William Hermanns recorded
in Hermanns' book Einstein and the Poet, Einstein said:
"As I have said so many times, God doesn't play dice with the world."
マックス・ボルン Max Born は「確率解釈/コペンハーゲン解釈」の発案者で、手紙の
日付の年 1926 年は、同解釈が提案された年。∴ここでアインシュタインが不満を表明
している理論は、*コペンハーゲン解釈を前提にした量子力学*としてよいだろう。
しかし、理論の*どのような特徴が、なぜ不満なのか*について、直接的な説明はない。
しばしば「確率論的な法則は原理的でない」/「原理的な法則は確率論的なはずがない」
から「隠れた変数による決定論的な法則があるべき」と考えていたと説明されるのだが、
アインシュタイン自身は、そうした理論を提案していない。
共著者にアインシュタインを含むEPR 論文が「隠れた変数」の理論についての議論が始まる
切っ掛けになったとは言えるようだが。
非平衡熱力学の大家/散逸構造の研究で名高いイリヤ・プリゴジンは、「確実性の終焉」
という(一般向け)書籍で、「アインシュタインが量子論に抱いていた不満」について、
以下のようにコメントしている。
p.126
「アインシュタインを主に悩ませたものは、量子論の主観的側面、すなわち観測者に付与
された理不尽な役割であった」
アインシュタイン自身の発言で、上記コメントを裏付けるものを示す(Wikiquote から)。
"We often discussed his notions on objective reality. I recall that
during one walk Einstein suddenly stopped, turned to me and asked
whether I really believed that the moon exists only when I look at it.
# 「「観測した時にだけ月が存在する」などと本当に信じるの?」
As recalled by his biographer Abraham Pais in Reviews of Modern Physics,
51, 863 (1979): 907. Cited in Boojums All The Way Through by N. David
Mermin (1990),
"Whether you can observe a thing or not depends on the theory
which you use. It is the theory which decides what can be observed".
# 「「何が観測可能であるか」は理論に規定される」
Objecting to the placing of observables at the heart of the new
quantum mechanics, during Heisenberg's 1926 lecture at Berlin;
related by Heisenberg, quoted in Unification of Fundamental Forces (1990)
by Abdus Salam ISBN 0521371406
# 理論の中核概念として「observable: 観測可能なもの」を置く事に反対して。
# ∵上記の注意点(科学哲学用語で「観測の理論負荷性」)を自覚できなくなる。
こう見て来ると、アインシュタインの「サイコロ遊び」の隠喩は、単に「確率的事象」を
指すのではなく、振って出たサイコロの目の確認(つまり*観測*)という主観的操作で
起こることが決まる「コペンハーゲン解釈的世界像」への違和感を指すとも考えられる。
下記の発言は、アインシュタインは「人格神」を信じていなかったことを示す。
Einstein and the Poet (1983) p. 108
[in response to a question about what was meant by his "cosmic religion"]
It is not a religion that teaches that man is made in the image of God --
that is anthropomorphic. … And for me God is the First Cause.
∴「神はサイコロ遊びをしない」は「世界のありようはサイコロ遊びと似ていない」と
言い換えても良いはずだから、「サイコロ遊び」を「確率的事象」と置き換えるだけで
アインシュタイン発言を解釈する事は、「イメージが貧困過ぎる」のではあるまいか。
月を引き合いに出した発言を突き詰めると、「コペンハーゲン解釈は、観測と無関係に
存在するはずの*物理的実在*を説明し切れていない」という趣旨と思われる。
cf. 「サイコロ遊び」への言及直前の「コペンハーゲン解釈込みの量子力学」へのコメント
「does not really bring us any closer to the secret of the "old one."」
での「the secret of the "old one."」は、*物理的実在のありよう*の暗喩では?
∴「観測者に理不尽な役割が付与されていない理論」なら、事象が確率的に記述されて
いても、アインシュタインは「サイコロ遊び」だとは思わず、受け入れたかも知れない。
例えば、別の記事で紹介した長澤正男の(確率過程論による)量子理論では、観測者に
「理不尽な役割」が付与されていない(∴「観測問題」が存在しない)。
イリヤ・プリゴジンの「確実性の終焉」は彼(の研究グループ)が進めていた、「熱力学の
不可逆過程の理論と統合可能な*量子論の再定式化*」を紹介するという内容で、p.127 に
「量子論の伝統的定式化のうちに内在していた擬人的特徴を排除する」「おそらく、これに
よって量子論は、アインシュタインにとって、より受け入れ易いものになったであろう」と
書かれている。また、同書は何箇所かロジャー・ペンローズの著書「皇帝の新しい心」への
言及を含んでいるのだが、「皇帝の新しい心」では、現行の量子論での「観測」の役割に対応
する*未知の客観的な物理現象*が存在するのではないかとの考えが述べられている。(8章
「量子重力を求めて」pp.415-420 『状態ベクトルはいつ収縮するか』)。
最後に、前節 1. でのボーアとの論争で、アインシュタインは「事象の確率的な記述」自体に
ついては、一度も問題にしていない事に注意して、ひとまず筆を置くことにする。
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