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1.「熱力学を学びたくなる」理由ないし学習の動機付けについて
2.「熱力学が難しい」と言われる理由について
3. 「数学から見た統計力学と熱力学」について
まずは、熱力学に関する筆者の漠然とした印象を書いて見た。
1.「熱力学を学びたくなる」理由ないし学習の動機付けについて^
自然科学、工学の多くの分野での基礎知識として必要という事実が実用性という意味からは最も
強調される側面だが、「学習の動機付け」としては応用例を示せる程度の知識が得られるまで、
*「必要性」単独では*十分ではないかも知れない。下記のような「一般的社会人や文系の学生
とも共通する観点からの「自然な興味」も考慮して、「導入」を考える意味もあるはず。
- 大衆文化にも浸透している用語「エントロピー」を理解できることへの期待感
+ 「自由エネルギー」や 「エクセルギー」の概念と関連付けると理解しやすくなる可能性も
ありそう(「エネルギー(の流れ)が力学的仕事に変換可能な度合い」に関わる量だから)。
- 科学史上の重要性: 統計力学 + 量子論誕生の契機 ( → 経済学への影響 )
+ 「平衡状態」は、原子論/ミクロの観点からは「確率的に実現しやすい状態」として自然に
特徴付けられるので、原子の実在を確立すべきという動機の一つになった。
→ この「実体としての原子」の概念は、経済学に多大な影響を与えた。
+ その一方、熱力学では容易に導出されるStefan-Boltzmann の法則(放射エネルギーは温度の
4乗に比例する)が、古典統計力学からは導出できないことは、量子論誕生の契機になった。
(「熱力学 現代的な視点から」 田崎晴明p.126) ←→本記事内の参照位置への逆リンク: * |=|$
→ 主流派経済学は、多分「統計力学が熱力学を基礎付けている」という*誤解*に基づく
「マクロ経済学のミクロ的基礎付け」などという*世迷い言*に囚われている。「統計力学が
熱力学を基礎づけるのではない。熱力学との整合性こそが統計力学を基礎づけるのである。」
(「熱力学 現代的な視点から」 田崎晴明 p.295 『あとがき』より)
- 量子論との関係や非平衡な場合については「基本原理」レベルで未解決な課題が多く残って
いる一方、近年になって研究が進展した部分も多い「最先端の分野」でもある。
+ ネーター不変量としての熱力学エントロピー
https://researchmap.jp/sasa3341/published_papers/37419343
http://mercury.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~bussei.kenkyu/wp/wp-content/uploads/6300-072218.pdf;
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/235555/1/bussei_el_072218.pdf
+ 量子多体系の力学と熱力学
https://www.nikkei.com/article/DGXLRSP456335_W7A900C1000000
https://www.t.u-tokyo.ac.jp/hubfs/shared-old/press/data/setnws_201709061614152431248138_195100.pdf
+ 有限時間での最大効率についての研究
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1027753.html
http://www-adsys.sys.i.kyoto-u.ac.jp/mohzeki/YSMSPIP/Abst2012
/abst_yuki_izumida.pdf
+ カオスと不可逆性の関係
- 「共形サイクリック宇宙論」と密接に関係。下記記事を参照。
+ 読書日記:ロジャー・ペンローズ著「宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか」
2.「熱力学が難しい」と言われる理由について^
熱力学の学問的な特性のほか、一般的な理科系学部生が履修するカリキュラムでの履修時期との
兼ね合いもありそう。
(1) 高校から大学の学部で学ぶ古典物理学の中では、熱力学 > 電磁気学 > 力学の順に対象の
抽象度が高く、高校で学ぶ関連概念の分量では、逆順。つまり、なじみが薄い概念を扱う。
- 力学では「位置」と「時間」という測定方法がイメージしやすい量が起点になる。
- 電磁気学の力学との接点は、電場と磁場の概念を導入する際の「電荷/電流に働く力」。
「力」は「加速度」や「重さ」として直接体感できるし、電場と磁場が導入できれば、後は
それらの量の関係に閉じて議論できる。
- 熱力学は「マクロな物理系」の「状態」及び「状態の変化」に関する諸量の間の関係が対象。
∴熱力学の力学との接点は「エネルギーの保存則」と「外部系との間の「仕事」のやりとり」
なので、「力」に比べてイメージしにくい。
+ 体積、温度、エネルギーなどは「「状態」と「状態の変化」の両方について意味がある量」
だが「熱」と「仕事」は「「状態の変化」にしか対応しない量」(「熱素」は存在しないし、
日常語での「熱がある(体温が高い)」という表現での「熱」とギャップがある)。
+ しかも、「加えた仕事が全て熱に変換される」変化はあるが「加えた熱が全て仕事に変換
される」変化はない(「熱の仕事当量」は前者の変化について測定される量)という事が
「原理」扱い。
(2) 「微分形式」の概念が最初から不可欠(∵「熱」と「仕事」は「系の状態」の関数としては
表現できないので、その「微小変化」は、実質的には「微分形式」として表現されている)。
- 現行の大学でのカリキュラム構成上、熱力学を最初に履修する時点で「微分形式」の概念を
数学として学習済みである可能性は低い。∴「「よく分からない数学的概念」で「新しい物理
概念」が記述されている」状況になりやすい。
+ 高校数学の微積分では微分 (dx. dy, dU ...) の記号が独立で使われる事もない(微分商
dx/dt 等の形か積分記号の中にしか現れない)ので「d'Q」などの数学的定義をしていない
記号による説明は、それだけで、かなり多くの受講者の混乱を招いているように思われる。
(「全微分」という用語/概念すら「初耳」という場合もありうる。その場合、数学的概念が
不明なことが気になって、物理の内容に集中できなくなりやすい)。
+ 「微分形式」という言葉だけでなく、「(微分形式の)線積分」、「全微分/完全微分」、
「積分因子」という概念の例を示し、「線積分が経路によらない←→閉曲線での積分が 0」
という「数学的事実」を(できれば「Green の定理」との関連も)インフォーマルでよい
ので、先に説明してあれば、避けられる混乱もあるはず。
+ 放送大学のテキスト「エントロピーから始める熱力学」は、全15回のラジオ放送講義用で、
(微分形式という用語こそ出していないが)その1回を熱力学で使用する多変数の微積分の
説明に当てている。放送大学の1回の講義は 45 分である。講義時間や回数の観点からは、
大学での講義で同程度の配慮ができないはずはないように思われるのだが(その1コマは
数学/物理数学の一部という扱いにして担当教員が別でもよいだろう)。
+ 例えば下記などの説明が参考になる。
http://www.yyyamada.e-one.uec.ac.jp/Lecture/Slide/SGreen.pdf
http://hooktail.org/misc/index.php?%C8%F9%CA%AC%B7%C1%BC%B0
http://hooktail.sub.jp/differentialforms/DiffFormsLineVol/
https://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~norihiro.tanahashi/lecture.html
(3) 大半の受講者の理解度に無頓着な講師は「カルノーサイクル」の説明が早過ぎる傾向あり。
- 個人的な経験で恐縮だが筆者の場合、「熱機関」概念の一般的定義すらなく「理想気体を
使ったカルノーサイクル」が熱力学初回の講義に出てきて閉口した、苦い思い出がある。^^;
+ 教育心理学の知見によれば、大半の学習者は、「一般概念/原則」の説明後に具体例を
説明された場合 (rule-ex) の方が、先に具体例を出して、後から一般概念/原則に言及
された場合 (ex-rule) より理解度が高くなる。「理想気体を使ったカルノーサイクル」は
「平衡状態」、「熱機関」、「(系への)操作」、「等温過程」、「断熱過程」、「可逆
操作/過程」など、より一般的/基本的な概念に馴染んでいないと意味が分かりにくい。
+ さらに、説明に「暗黙の仮定/前提」がいろいろありそうで、論理的に飛躍がありそうな
印象すら受けてしまう事が、初学者として苦痛だった。=「熱力学 現代的な視点から」=では
「等温過程での最大仕事」から、まず「ヘルムホルツの自由エネルギー」を定義している。
$この本$の説明方法だと、無理なく論理を追える印象を受けた。
- カルノーサイクルをエントロピーの定義のためにいきなり持ち出したのは、早く化学への
応用に進むための構成だった思われるが、応用優先なら「「エントロピーという状態量」が
存在して、所望の性質を持つ「熱力学関数」として表せる」という前提を置いて話を始める
説明の方が、むしろ分かりやすい。
+ 熱力学と統計力学を合わせて説明する場合、エントロピーを統計力学の観点から導入して
しまうか、あるいは理解の一助として言及する方法も多く見かける。これも分かりやすい。
# 「よくわかる熱力学」(前野昌弘著/東京図書)という本を図書館で見かけて中身を確認した
# ところ、(1)-(3) の「教育的観点」全てに配慮が行き届いていて「素晴しい」と思った。最初に
# 「(熱力学的な)仕事」の概念を確認しているあたりも、教育現場での経験を踏まえた独自の
# 配慮と考えられる。基本方針は*前記の田崎本*と共通で、より懇切丁寧な記述。(2022-10-29)
3. 「数学から見た統計力学と熱力学」について^
ネットでは、多分「物理学や化学の1科目として統計力学や熱力学を学ぶ視点」からと思われる
「「数学から見た統計力学と熱力学」(砂田利一著)という本を低く/悪く評価する」記事が、
いくつか目についた。
しかし、本ブログ筆者個人感想 :-) だが、この本は「宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか」
での熱力学についての説明での疑問点の一つの解消に役立ったし、他にも参考になる点があった
ことを書いておきたい。
「宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか」では Phase Space に「位相空間」という訳語が
使われている(「相空間」と訳す流儀 -- 数学用語 Topological Space との混同リスクを嫌う
意味から -- もある)。一方、「数学から見た統計力学と熱力学」(砂田利一)では(相空間
と呼ばれることもあると断った上で) 「シンプレクティック多様体」という用語が主に使われ、
「物理系」は「(シンプレクティック多様体上の)ハミルトン力学系」と呼ばれる。これは、
「リュービル測度(=Phase Space の「体積」)」という概念を導入するための数学的道具立て
である。「宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか」では「位相空間の体積」という物理用語
=数学としてはインフォーマルな用語が使われている。測度という概念は一応知っていたから
なのだが、この対応が分かったことで、筆者にとっては「話がつながった」というわけだ。
「数学から見た統計力学と熱力学」全体の記述の雰囲気から、多分「「数理物理学」としては
常識的な内容」がまとめられているのだろう。数理物理学者であるペンローズなら、論文では、
こうした数学寄りの用語を使っているはずだ。
そのほか、囲み記事での物理学史や数学史の話題も(少なくとも筆者には)興味深かったし、
「準静過程や可逆過程は理想化された操作で実際上存在しない」という考えて見れば当然では
あるが、明記されることは少ない事の注意も、ありがたい配慮に思える。
update: 2022-09-28 23:36 :節へのid付与, リンク
update: 2022-10-02 16:41 :id付与箇所追加、字句修正
update: 2022-10-29 21:24 : 「よくわかる熱力学」(前野昌弘著/東京図書)への言及追加