大関魁傑の放駒元理事長が突然亡くなった。
ショックだ。
この人ほど紳士でクリーンな力士を僕は知らない。
現理事長の北の湖親方などそのクリーン度においては魁傑の足元にも及ぶまい。
八百長問題で角界が揺れた時の理事長だった彼は八百長にからんだ人間を追放するという大ナタをふるい春場所を止めるという決断をした。
もしあの時北の湖が理事長だったらこういう決断は出来なかっただろう。
この人の名言に
「休場は試合放棄と同じだ」
と言う言葉がある。
魁傑は大関としてどんなに成績が悪くても
「休場は試合放棄と同じだ」
と言い放ち決して休場したりはしなかった。
だから2場所連続で負け越して大関を陥落してしまうのだが・・・。
たしか昭和53年だったとおもうが大関旭国との大一番が忘れられない。
水入りの大相撲になりその後の一番も再び水入り。
たしか結びの一番を先にしてその後再び取り組みが行われたという記憶があるな。
僕が大関貴ノ花に夢中になりテレビ画面に食い入るように見いっていた時期だから鮮明な記憶が残っている。
とにかく生真面目な人だった。
既得権益を重んじる相撲協会において放駒さんのしようとした改革は相当の反発があった事は想像に難くない。
それでも改革出来たのは放駒さんがトップだったからだ。
いい人ってなんで早死にしちゃうのかな。
合掌。
by よっちゃん隊員
ショックだ。
この人ほど紳士でクリーンな力士を僕は知らない。
現理事長の北の湖親方などそのクリーン度においては魁傑の足元にも及ぶまい。
八百長問題で角界が揺れた時の理事長だった彼は八百長にからんだ人間を追放するという大ナタをふるい春場所を止めるという決断をした。
もしあの時北の湖が理事長だったらこういう決断は出来なかっただろう。
この人の名言に
「休場は試合放棄と同じだ」
と言う言葉がある。
魁傑は大関としてどんなに成績が悪くても
「休場は試合放棄と同じだ」
と言い放ち決して休場したりはしなかった。
だから2場所連続で負け越して大関を陥落してしまうのだが・・・。
たしか昭和53年だったとおもうが大関旭国との大一番が忘れられない。
水入りの大相撲になりその後の一番も再び水入り。
たしか結びの一番を先にしてその後再び取り組みが行われたという記憶があるな。
僕が大関貴ノ花に夢中になりテレビ画面に食い入るように見いっていた時期だから鮮明な記憶が残っている。
とにかく生真面目な人だった。
既得権益を重んじる相撲協会において放駒さんのしようとした改革は相当の反発があった事は想像に難くない。
それでも改革出来たのは放駒さんがトップだったからだ。
いい人ってなんで早死にしちゃうのかな。
合掌。
by よっちゃん隊員