夏に向け、気持ちだけでもちょこっと^^;たまったお肉を絞りたいがため、夜のウォーキングを再開している。といっても、帰宅時間が遅いものだから、仕事がお休みの日だけに限られてしまうので頑張っても週一が限度なんですけど^^;;; 毎晩歩いていたほん昔を思うと、我ながら可愛いやっちゃ^^v と愛おしく思い出してしまいます(笑)。まあ^^;現在は体力も落ち込んでしまったものですから、ほどほどにしとかんなあかんよと、焦る気持ちを押さえながら続けている状態ですね。
この季節、川べりを歩いていると、ふわふわ舞い飛んでいる蛍の光に遭遇することがあります。嬉しくなってその光をすくうように手を差し伸べるのですが、思うように気持ちは届いてくれません^^;。 オバちゃんらの昔は^^;;;(笑)、蛍なんか、そこここにウジャウジャ飛んでいたものですから、竹ぼうきを肩にひっさげて蛍を取りに行ったものです。まるで蜘蛛の巣を掃うがごとく夜空に向かって振り回せば、簡単に捕まえられたんですけどねぇ~~(爆)。
きっと、そんなふうに^^、ちっちゃい頃って簡単に夢を手に入れることができたんでしょうね^^。だったら、竹ぼうきよりも大きくなったらもっといっぱい掴めるかもと思っていたんですけど、蛍はどこかへ行ってしまいました。この辺も、街からみたら十分田舎なんですけど、蛍をみかけられる場所が限られてきました。でも、ここ数年より蛍の保護活動があちこちで始められているようですから、だんだんと昔の夢を思い出すとともに取り戻したいと思う大人達が増えてきたという証拠なんかもしれませんねぇ~~~♪
話は変わりますが、昨夜、帰宅してきた主人からこんな言葉が・・・。
仕事帰りに、私がいっぱい蛍を見たというの場所へ眺めに行ってきたとのことでした。
「同じ虫でも、ハエや蚊は人間に嫌われているけど、蛍は人間に愛されて幸せやなぁ~。」
ふむふむ、でも、命は儚いんですよねぇ・・・と 私。(そういうとこを人は愛してしまうのかも・・・?)
『 己が火を 木々に蛍や 花の宿 』 (蛍は、自分の発する光を花として木々に宿す。)
元禄3年夏。近江の石山あたりで詠んだといわれている芭蕉の句です。
「蛍の放つ淡い光は、短い命の最後に、オスとメスが互いに相手を呼び合う命をつなぐ光です。こんな小さな虫たちも自分の生を精一杯生きています。だからこそせつなく美しいのかもしれません。」
(佐世保市立天神小学校だより「スマイル天神」より)
そっかぁ~~^^;;;;; 最近、主人に対して私って、つれないん???
いつもやけど!!!(爆) ← おいっ、反省せんのかぃ!!!
そやそや^^; お口直しに~♪ 芭蕉が詠んだ俳句の中に、ステキな句を見つけました。
『 命二つ 中に活きたる 桜かな 』
「命は、自分一人のものですが、一人で支えているものではありません。単数ではなく、複数の命によって支えられているのです。他者の存在なしに、命はありません。親と自分、友人と自分、他者と自己、それぞれがその命を自分の中に大切に抱えながら、親、友人、もうひとつの命に支えられ、<命二つ>の中で生きているのです。 命は一つで生きていくことはできません。自分にかけがえのない命は、相手にとってもかけがえのない命なのです。<命二つ>と、考えることは、相手の心に近づき、自分の身を相手に重ねることです。互いに命の尊厳を認め合うということです。」
(立教新座高等学校 校長 渡辺憲司氏 入学式祝辞より)
ふぅ~~ん^^;;; なんか、調べれば調べるほど^^ 私的には不利になってきた。パパあっての私かぁ~。
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