平成27年11月20日参拝
・霊仙寺 白山神社(大阪府高槻市霊仙寺町1丁目)
楽しみにしていた^^高世さんのトップ就任京都お披露目公演 『OSK レビュー in Kyoto』
でも^^; その前にほんとうなら春に訪れるはずだった(高槻で途中下車せず寝過ごしてしまった^^;)霊仙寺の白山神社まで、この際やで高槻まで足を伸ばしてから京都へ戻ることにした。
◆ 霊仙寺 白山神社
始発の電車に飛び乗り、高槻駅からは関西大学行の市営バスに乗り換える。バスに乗ったものの、徐々に街からは遠ざかり高台へ上っていくものですから、何処まで行くのかと不安になりかけたところ、降ろされたバス停前の山肌の斜面に白山神社は鎮座しておりました。
神社の鳥居に平成二年奉納とあり、まだ新しい神社の雰囲気からしてその当時に全体を改築されたのではないかと覗える。(石碑があるが文字が読みづらく不明・・)
ここの道路を挟んだ向かい側斜面下に霊仙寺町の集落があります。
霊仙寺町は、集落内にある霊山寺(りょうぜんじ)の寺の名がそのまま集落の地名になったようです。その寺も近くにあるので一緒に訪れてみることにした。
バス停がある道路から参道の坂道を下っていくと、霊山寺の駐車場が広がる。
お寺の掲示板の案内図によると、集落内の表山門を通ってくる参道もあったようなのですが、今回はちょうど墓地が広がる裏の方から入って来てしまったようで、山門を見てくることが出来なかった。
寺伝によれば、宝亀9年(778年)桓武天皇が箕面に行幸した際、箕面の美しい景観を光仁天皇の子開成皇子に伝え、それを耳にした開成皇子が山に入ると、箕面大滝の近くの所で、自然石が不動明王になり、この地に寺を開創するように告げられ、開創したと伝わる。
境内に入ると、手前に鐘楼(時計堂)がある。平成13年(2001年)に奉納されたようで、大理石のモニュメントの中に時計が埋め込まれてあった。斬新なアイディアだと感心^^; そして、その奥の方にみえるのが手水舎である。
天正(1573年-1592年)の頃、高山右近による戦火にあい、本堂などが全焼し、壊滅的な被害を負ったが当時の住職達が不動明王などの仏像を守った。
本堂に本尊として祀ってある不動明王なのですが、一言願いを言うと叶えられると信じられてきたため、「一言不動」とも呼ばれて親しまれているようです。
そして、左手奥の薬師堂には、薬師如来立像、十二神将像が祀られている。
^^!そうと聞いては、私も「一言不動」に願いを叶えてもらわなくてはと早速、ひと言 ^^;;;
家にいるもうひとりの娘の幸せをお願いすることにした。(本当は、家を継いで我が家で幸せになって欲しいのよねっ^^;とも願いたかったが、愚痴ともつかぬ二言になってしまうのでやめにした^^;;;)
本堂ではもうお願いできなかった分、薬師堂で京都レビューの成功を祈る。
バスの時間を気にしながらもう帰ろうかと歩き出した時、お寺の若奥様が境内の掃除に出てこられて少しお話をさせていただいたのですが、道向かいにある白山神社は昔この境内にいっしょにあったと聞かれているそうです。本堂の右手の小高い広場が今は墓地になっていたので、たぶん神仏分離令以前はこの場所に鎮座していたのではないかと思われます。
この高台からの眺めは最高で、遙か遠方にもやがかかったデコボコとしたビル街が見えるのですが、なんと^^! 大阪の街なんです~って~^^v よ~く目を凝らしてみてくださいね^^、写真中央部鉄柱の向こうに見える一際高いビルの影みえますか^^? あれが、「あべのハルカス」だそうですよ。
うわぁ^^ここから毎日大阪が見えてるんだと感激してしまいました。
高野山真言宗、鶴林山霊山寺は、摂津国八十八箇所霊場 第49番札所 となっています。
『 自分にしかない 味をだす それが 自分を 生かす道 』
寺の掲示板に掲げられてあったその言葉を背に受け、いざ^^京都南座へと急ぐのでした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます