視覚を考えるの中で目の構造から解説してきました
デジタルカメラでさえ、集められた情報を画像へ変換させる処理をしています
人の視覚は目から入ってくる膨大な光情報の中から重要と思われる情報を特徴的に抽出して視覚野に送られて映像化されることを
説明してきました。
しかしながら、色々な錯覚、錯視の現象から視覚情報の処理に関してどうなっているのかという探究は続いています
私たちは何を見ているのだろうか—錯視・錯覚から迫る脳の視覚情報処理メカニズム— | サイエンス&テクノロジー | 研究・社会連携 | 京都産業大学
この記事の中でも「見ているのは目ではなく脳」と言っています
視覚を理解するためには目のことだけでなく、脳や心理などアプローチから探求していく時代です
それは、AIなどに応用していくということもあるのでしょう。
医療による診断の中にも肌の色から診断することもあるようですが、それはとてもニュートン色彩の色差という範囲なども及びもつかない
見分ける事ができない微妙なさを複合的情報から判断しているのではないかと言われています
このようにリニアに入ってくる情報を意識的、無意識的に処理されていることをまずは意識してみてはどうでしょうか?
文明などに囲まれて危険から遠のく前には、自然の風景の変化に機敏に反応する事で見を守る事を潜在的に行ってきています
それが、五感情報の基本てはないかということは想像が付きます
その中の目から来る視覚情報は常に反射光を基本にしている為、透過光では注意力が働きにくくなるということは「視覚を考えるその4」に書きました
その現象は常に視覚は反射光を捕まえる事によって身の危険を回避するということがあったからだろうと考えられます
作品作りにおいても錯覚や錯視を利用したアプローチは構図や色彩遠近、などさまざまなアプローチが試みられてきました
その点から普段見ている風景や景色、目から入ってくる情報を少し位して考える中にも色々な視覚的な面白い現象が見つかるかもしれません。
それを見つける事からその現象を作品へ応用する事によって新たな表現が生み出される可能性もあると思います。
今見えている景色も脳によって高速で高度な情報処理の結果で映像化されたものです
どう見えるかではなく、どう感じるかという視点から新たな表現領域を広げるアプローチを考えていきます