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『明日の城』に行って息子が写真を撮ってくれました。FBに出ている写真はなんと奥さんがとっていました。

2019-07-22 15:19:14 | 日記
なんとFBなどで見た「明日の城」のコマーシャル写真は奥さんがとっていたとは。今日はすごく暑かった。でも道北ですから26℃くらいです。息子が「明日の城」を訪ねて写真を撮ってくれました。私のボケ写真とは違って、1眼レフカメラですし、画像もかなりきれいです。写真を使ってもいいというので、使わせてもらいました。もう夜10時になるのですが、私の住宅の周りで星空を撮っています。今日は昼間が扱ったので、星が少しボケて(肉眼では)見えます。虫も多いし、夜空の星を撮るには少し難しい天気なのですが。 

徴用工の真実 強制連行から逃れて13年 早乙女勝元

2019-07-22 13:06:39 | 日記

「強制連行から逃れて13年」という衝撃的なタイトルと「徴用工」問題が日本と韓国との間でとりだたされているので読んでみることにしました。
  終戦を知らずに13年間も厳冬の北海道で逃げ回った中国人徴用工の劉連仁(りゅうれんじん)さんがいたとは衝撃でした。 強制的に連行された中国人の苦闘を早乙女勝元さんが直接取材して書かれた生々しい文章に引き込まれました。
 戦争末期の日本は、男たちが兵隊にとられ、大変な労働力不足だったのです。 勤労動員で、女性も子どもたちまでも狩り出されていたことは知っていました。 日本軍は、その労働力を補うために韓国や中国からの若者を「拉致」して日本の炭鉱や工事現場に送っていたのです。  これを日本軍は「兎狩り」とか「労工狩り」と呼んでいたといいます。 生産現場では、食事も十分に与えられず長時間の重労働と日本人現場監督による虐待で飢餓、疫病で死に追いやられる実態が語られています。  劉さんは、1945年終戦直前に「虫けらみたいに使われて死ぬよりは」と仲間と現場から脱走したそうです。 戦争が終わったのも知らず、捕まればまた炭鉱に引き戻され、散々な目に合うと必死に逃げまどっていたそうで、残ったのは劉さんだけ。 私は、1958年3月に発見されるまで極寒の北海道13年間も生き延びられたのか、強靭な生命力に驚くとともに、日本政府が過去に犯した過ちを素直に認め、謝罪すべきであるとおもいます。  「徴用工問題は終わった」「なかった」とする日本政府には納得できません。 みなさんもぜひ一読願いたい本です。