皇紀2679年(令和元年)6月6(木): 江藤淳は甦える
虎ノ門ニュースの居島一平氏、大絶賛♪
アマゾンコメント欄より:
古本虫がさまよう
5つ星のうち5.0800頁近い平山周吉著『江藤淳は甦える』は面白い。平成のうちに、読破できそう……。 2019年4月27日
いまはなき「新潮45」にしばし連載され、また、書下しを含めての刊行となった、平山周吉氏の『江藤淳は甦える』 (新潮社)を読み始めた。
(こんな内容)→没後二十年、小林秀雄が後継者と認めた戦後を代表する批評家の決定的評伝! 「日本という国はなくなってしまうかも知れない」――「平成」の虚妄を予言し、現代文明を根底から疑った批評家の光と影。二十二歳の時、「夏目漱石論」でデビューして以来ほぼ半世紀、『成熟と喪失』『海は甦える』など常に文壇の第一線で闘い続けた軌跡を、自死の当日に会った著者が徹底的な取材により解き明かす。新事実多数。
一頁47字×20行。800頁弱の大著だ。一日~二日では読破は無理。
まずは「あとがき」を読んだ。著者は、生きている江藤淳さんに最後にあった編集者ということもあってか、この評伝を書くことになったようだ。その経緯などが書かれている。また、5月18日から神奈川近代文学館で「江藤淳展」が開催されるとのこと。これは見に行きたいなと思った。
ともあれ、その「あとがき」に続いて「江藤淳著書目録」が続いている。処女作から始まり5頁にわたって書名が掲載されている。意外なことに、結構読破しているものも多い。 『こもんせんす』 (北洋社)なんか愛読したものだ。そんなエッセイ本をよく読んでいた。勿論『一九四六年憲法--その拘束』 (文藝春秋)などは、学生時代、「諸君!」に掲載された時点でリアルタイムで読んだ記憶がある。
とはいえ、40年近く昔か‥‥。 『もう一つの戦後史』 (講談社)に掲載された対談なども目からうろこが落ちる思いで一読した。ちょっと番外篇的な訳書(『チャリング・クロス街84番地』リーダイ)も、映画も見たが、戦争と古本と人間愛を描いた佳作だった(と思いつつも、戦勝国英国の戦後の「窮状」を見て、思い知ったか、戦後すぐの総選挙にも負けたチャーチルの糞野郎と感じていたかな?)。
学生時代から、講演もしばしば聞いたものだ。アメリカに発つ前に学習院大学のピラミッド講堂で講演したのも聞いた。家永三郎でも本当のことを言うことがある‥‥といった笑いを誘うコメントはいまだに耳に残っている。そのあとだったか、我が母校に講演でこられたこともあったかと。
郊外にある広大なキャンパスを見て、かつてのアメリカ留学時代の大学と比較して、遜色がなく、日本もここまできたか‥といった趣旨の冒頭の発言はいまも記憶に残っている。
さて、前置きが長くなったが読み始めた。
まずは第一章(「最後の一日と最初の一日」)。江藤淳の「生誕」(誕生日)の秘密から…。ううむ…。なるほどね。たしか『「南京大虐殺」のまぼろし』 (文春文庫ほか)の著者である鈴木明さんも「生誕日」が実際と公表とズレていたかと。「ダンディな作家」は、そういうことにこだわるのかもしれない。
引き続き第二章(「美しき『母』を探し求めて」)。江藤淳はマザコンだったのか…。江藤さんの母親は「息をのむ美しさ」(弟子のコメント)だったという。
「母・江頭廣子は文学者江藤淳にとって、尽きせぬ源泉であった」「それは文学の源泉であり、沈黙と言葉の源泉であり、生の源泉であり、死の源泉であった」「江藤淳があの日還っていったのは、この『母』のもとへだったのだろうか」 (著者)とのこと。
第三章(「祖父の『海軍』と祖母の『海軍』)は、国士・江藤淳の原点を描写した感があった。学者・文化人・文芸評論家の江藤淳ではあったが、堺屋太一のように「学者大臣」なり、「文人政治家(首相)」となった可能性もあるのかもしれないなと、読みながら思った。
第四章(「『故郷』と『胎内』を失った少年」)は、実家・自宅のあった大久保界隈を著者が徘徊している。大久保といえば、以前、大型ブックオフや高原書店の支店(3階ビル)などがあった時、しばしば訪れたところだ(僕は基本的に「古本屋」のある所にしか足を運ばないので…)。「山ノ手線の新大久保駅と中央線の大久保駅のちょうど中ほどの、戸山ケ原寄りにあった」というから、そのあたりを歩いていたかもしれない。たまたままもなく「令和」ということで、江藤淳が、アメリカでに「万葉集」に着目していたとの一節に目が止まったりした。
第五章(「日米戦争下の落第坊主」)は、小学三年生の時に、谷崎潤一郎の『刺青』『秘密』などに「うつつをぬか」していたそうな。表看板(ジキル?)は夏目漱石だったが、裏(ハイド?)は谷崎だったようだ。
江藤は「文学というものは、どこかでこういう官能的なものとつながっていなければならないというぬきがたい好みが私のなかに生まれたのは、あるいはこのときからだったかも知れない」という。
ううむ…。僕などはもっと高学年、小学5~6年生の頃に祖父の屋根裏部屋でエロス系マンガを手にして「官能的なもの」を知った程度。谷崎作品は今にいたるまで、敢えてほぼ読んでいない。せいぜいで、高校生のころから宇能鴻一郎の「あたし…」シリーズ作品程度(いや、宇能文学は軽視できないと思うけど)。それはともかくとして、この章では開戦から終戦(敗戦)前後の江藤少年の「葛藤」などが描写されている。
とりあえず一休み。
本文だけで760頁ぐらいもあるが、45章もある。一つの章としては、20頁前後。ちびちびと読めるし、後半は文芸評論家を超えて「政治評論家」的な発言を展開する江藤淳の世界が詳述もされているようだ。そのあたりはリアルタイムで「一読者」でもあったから、読むスピードもアップしそう。楽しみである。平成のうちに読み終えられそうだ。(以下の章を含めての最終的な読後感・感想は後送)。
(以下後送分)→
江藤さんは日記を一切書いていなかったようだ(第四章)。意外かな。
ともあれ、第六章(「湘南ボーイの黄金の『戦後』)、第七章(「東京の場末の『日本浪漫派』」)、第八章(日比谷高校の早熟な『若年寄り』」)、第九章(「『貴族』の矜持と『道化』の屈辱)、第十章(「生存競争から降りた一年間」)、第十一章(「批評家生誕前夜の『自画像』」)と読み続ける(以下章タイトルは一部省略)。
湘南中学校から日比谷高校に進み、多感な青春時代の江頭淳夫の行動や発言が当時の同級生などの「証言」などを通じて再現されていて興味深い。数学ができず(といっても、僕のような因数分解で躓いた低レベルではなさそう)、東大仏文ではなく慶應を目指す。とはいえ、結核などで休学したりする。そんな療養中の「読書」なども、のちの批評家・江藤淳の登場に貢献したようだ。カラマーゾフなんて、そうでもないと読まないよな…。
「江頭淳夫が素直に東大を目指していたならば、その人生は大きく変わっていただろう。その場合、文学者『江藤淳』は存在しなかったかもしれない。それが幸福だったか、不幸だったか」との著者の指摘を読むにつけ、こちらも還暦爺さんになっているので、「…ならば」(イフ・もしも)の世界をいろいろと考えるこの頃だ。
といっても、東大法学部に行って「外交官」になっていれば……。村田良平氏や馬渕睦夫さんのような「論客」になっていたかも。佐藤優さんかな? 岡崎久彦さんみたいだったりして? 「反米外交官」として独特の地位を示していたかもしれない。それもまたよし?
僕の場合は、単に関西と関東の大学に合格していたので、どっちに行くかによって、「地理的」要因程度の話だが…。
ともあれ、高校時代から、翻訳やら小説執筆やら、文芸分野で活躍をする江頭淳夫が、二十歳にして慶応大学に入学。そして……。
「第十二章」(「『私立の活計』福沢諭吉と『恋人』三浦慶子」)…と続く。自殺未遂(第十四章)やら、三田文学に夏目漱石論を書くにいたった軌跡(第十六章)やら、大学院に進んだものの、新進気鋭の文芸評論家として活動し、二兎を追うもの一兎も…になり、指導主任教授(西脇順三郎)と対立し、大学院を捨てる覚悟(第十九章)……と。大江健三郎などと仲がよかった時期の「若い日本の会」(第二十二章)のころに江藤淳がどう考え、どう行動していたかなど……。
そういえば、江藤淳さんは「実母」を早く亡くし、義母などをめぐって、いろいろと葛藤があったそうな。
「母・江頭廣子は文学者江藤淳にとって、尽きせぬ源泉であった。四歳半の時から六十六歳で自死するまで、それは変わらなかった」
それにしても、江藤淳さんが少年だった昭和20年代と昨今とは大違い? 男女交際がまだまだだったその頃、江藤さんと恋人(妻となる女性)は、大学で知り合ったあとは、キャンパスでもどこへ行くにも同伴するような仲だったそうな。そういう深い愛情があって、妻が亡くなったあと、ああいう形で後追いをしていくことになったのだろうか。
第四十一章からは、江藤淳さんの発表する媒体が「新潮」などから「諸君!」「正論」に移っていく。無条件降伏論争など、「進歩的文化人」と対峙して毎日や朝日などで論争が展開されたのもリアルタイムで読んでいた記憶が甦ってくる。
「諸君!」での一連の論文(のちに単行本にもなる。「文学界」なども)もそうだ。とりわけ占領期間中に於ける占領軍の「検閲」の実態を暴露した論考の数々……。
「新潮」(昭和58年8月号)の「ユダの季節」もリアルタイムで読んだ。薄い水割りのウィスキーの話が冒頭にあったか?
福田赳夫などに接近し、体制派知識人と思われたりもしていたが、占領軍の検閲の実態を追究することは、吉田茂以降の親米保守派からするとラディカルな批判であり、煙たくも感じられることもあったようだ。共産党文化人の中野重治なども、占領軍の検閲を鋭く批判もしていたようだが、今の日共は「占領憲法バンザイ派」だ(天皇条項は改正・削除したかろうに…)。
江藤さんは、「”親米派”と共産党が、ともに虚構の維持に協力しているからこそ、この虚構は制度として成立し得た」と『昭和の文人』に書いているとのこと。
そうした虚構を虚構と見抜き、その事実を暴いた江藤さんは、大江健三郎のような単細胞型の「反体制」ではなく、複眼的な「反大勢」のポジションを常に確保して生きてきた行動する知識人だったといえる。この本を読んで改めてそう感じた次第。
最後の章に出てくるが、「愛人」問題などもあったようで、人間、ジキルとハイド…。最愛の妻がいても……。大原麗子似の、ちょっとした劇場で日本舞踊をする程度の……。まぁ、こういう下半身は、保守もリベラルも中道もなく、いろいろとあるようで…。奥さんが亡くなったと同じ頃にその女性も亡くなったみたい。自殺の遠因? ダブルショックで…?
ともあれ、2019年(令和元年)5月1日正午三分前、新宿某所にて読了。面白かった。しかし、たまたま10連休開始前日に手にしたから読了できたが、そうでなかったら積んどくになったことだろう。