一反百姓「じねん道」【百姓の100章】『農的ワークライフバランス』実践と研究日記@斎藤博嗣&裕子*4人家族(夫婦子供2)

2005年、東京から茨城の農村へ夫婦で移住し新規就農。
こども百姓「じねん童」2人と共に、家庭自給生活を自学自習中

1959年7月25日チェ・ゲバラ広島へ「50年」

2009年07月25日 | 「ふうてんファーマー通信」じねん道以外のお知らせ



今年2009年は、
「キューバ革命50年」(1959年1月1日)
「ゲバラ生誕80年」(1928年6月14日)
の年です。
そして、本日7月25日は、
ゲバラがキューバ革命のその年に初来日して
「広島平和記念資料館」を訪れてから、
「50年」(1959年7月25日)
の年でもあります。

1959年7月15日、31歳のゲバラはキューバの使節団を引き連れて日本に訪れた。
7月24日の大阪に泊まった際、広島が大阪から遠くない事を知り、
予定を変更して、宿を抜け出して夜行列車で広島に向かった。
25日に広島県庁職員案内の下、広島平和記念公園内の
原爆死没者慰霊碑に献花し、原爆資料館と原爆病院を訪れた。
キューバでは現在でも、初等教育でヒロシマ・ナガサキをとりあげている。


広島平和記念資料館
「世界のまなざし ヒロシマを訪(おとず)れた人々」
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/exhibit/exh0507/exh050705.html
41● 革命家(かくめいか)
チェ・ゲバラ(キューバ) 
1959(昭和34)年7月25日
写真の左端(ひだりはし)がゲバラ。

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以下は、詳しいことが書かれているホームページより抜粋させて頂きました。
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/latin_america/hono_no_kioku.htm

チェ・ゲバラの原爆惨禍へのこだわりと広島への思い
テレメンタリー2007『炎の記憶~原爆の残り火をキューバへ~』

 いかにチェ・ゲバラが広島の原爆の惨禍にこだわり、悲劇を繰り返させまいと念じていたか--丹念に取材された広島ホームテレビの番組から伝わってくる。国際医療支援や環境保護に精力的に取り組む「人類愛」ともいえるキューバの姿勢が、革命当初から、そしてゲバラの強い意志によって構築されたということが、「広島」「原爆」を通じてもひしひしと感じる。この番組は、ゲバラの銅像と共に魅力的なナレーションで始まる。「夏空の元に一人の男が立っていました。右手には武器。しかしその手は意外にも優しく柔らかかったといいます。キューバ革命の指導者チェ・ゲバラ。2年にわたるゲリラ戦を勝ち抜いた彼が行きたかった場所。それは平和都市広島でした。」
 1959年革命の成功からわずか半年後の7月、ゲバラは使節団の団長として日本を訪れた。このときゲバラは広島訪問に強くこだわった。日本を訪れたキューバの使節団は6名。団長はゲバラ。使節団は日本各地の産業を見学しキューバの特産品である砂糖の貿易交渉もした。広島行きはゲバラの強い希望だった。しかし、日本政府はこれを許さなかった。
 そのときの副団長であったフェルナンデスさん(ノーベル平和賞を受けた反核団体IPPUWのメンバーの一人)が回想する。「どうしても広島を見せてくれないんだ。アメリカがやったことは見せたくない、そう思ったのかもしれない。それなのにチェはすごかった。『僕らには48時間しかないから、日本政府には言わずに広島ににいこう』と言い出したんだ。フェルナンデスさんはいたずらっぽく笑う。使節団の半分を大阪に残しゲバラたち三人は極秘に夜行列車で広島行きを強行する。「原爆資料館で見たものはただ恐ろしいものばかりだった」という。ゲバラは大きな衝撃を受け、「これからは広島を広島の人を愛していこう」という言葉を残す。そして「アメリカが犯した罪、引き起こした惨劇を、つまり私たちが見た同じものをあなたたちもみてくるべきだ」
というメッセージをカストロをはじめキューバ国民に発する。カストロ議長2003年に広島を訪れた、ゲバラの思いをあらためて知ることになる。

 広島でも1945年8月6日8時15分の意味を知る若者も少なくなったという。
キューバでは毎年8月6日平和を祈る集いが行われている。
キューバで大人や子どもたちにインタビューを行う。原爆は中学2年生で学ぶ。教科書には3ページにわたって書かれている。
「フィデルはよく広島のことを話すんだ」
「アメリカが原爆を落とした日だと思います。広島と長崎」「原爆記念日です」

  アレイダさんが講演で、ホセ・マルティの言葉「白いバラを誠実な友たちのためにつくろう」を引用した意味、チェ・ゲバラが「これからは広島を広島の人を愛していこう」
と語った意味を何度も考えていきたいと思う。

2008年5月26日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局 


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