Brush US UP!!

教育をメインに、自分にも読者にも問いかけるブログ!
自分も生徒も共育!
社会の変革期、一緒に考えましょう!

対面授業とオンライン授業ではできることがだいぶ違う。

2021年08月26日 | 教育
昨日の記事→感染者が増えている中でありながら、学校を再開したいのはなぜなのか。

で触れた、対面授業とオンライン授業でできることについて、図式化してみました。



見える化してみると、なかなかどうして、対面授業の良さに気付きますね。

足りないところ、気づいてないところもあるでしょう。「これもあるよ!」は、どんどん教えてください。



さて、一部では対面授業とオンライン授業を並行して行う「ハイブリッド授業」というのも試みられているようですが、

ただ単に対面授業を動画で配信するだけだと、その場にいる子どもにはできて、画面越しに参加する子どもたちにはできない活動が出てくる。

現実的には、全員ができる活動を用意するのでしょうか。

で、学校に来たらその分、教員の目が届いたり、友人と授業内容について喋れたり、授業の空気感を感じられるというメリットがあるよ。

という授業形態になっていると想像します。

誰か、実態が分かる方がいたら教えてください。知りたい。



明日は、大学院の授業でプレゼンをします。

オンライン授業ではこういうことに取り組もうよ!ってアイデアを提案してみます。

教授陣や他の受講者からいいフィードバックがもらえるといいなあ。

あ、でもそれもオンラインの授業だった…フィードバック、多くはないだろうなあ。

授業終わってから「あのアイデア、こうですよね!」「もっとこういうのもありますよ!」ってのが聞けない。

授業終わりますー、プチっ。

・・・無だ・・・。ってなるんですよね。

オンラインの欠点って、そういうとこなんだよなあ。

日本の学校の良いところ①

2021年05月19日 | 教育
学校という場のありがたいところは、多岐にわたる教科を平たく浅く教えてくれること。
自分自身だけの力でそれぞれの学問を学び始めたり、問題の所在に気づいたりすることは難しい。
だからこそ、教員からその「問い」を与えてもらえることで、自分の興味の所在や関心の対象に気づける。


学んだ結果として、興味のある、なしはもちろん出てくるけれど、
興味があるかないかなんて、学んでみないと、与えてもらわないと、自分自身の力だけではわからなかったこと。


それに、食わず嫌いだったものにも触れることで、「好き」に変わるかもしれない。
嫌いなものだって、アプローチを変えてもらえることで、違う角度から切り取ってもらえれば興味がわくかもしれない。


今、学んでて、そう思います。
考えたいことがたくさんあります。
前期の授業のコマ数は10コマ。プラス実習。
もちろん10コマとも違う内容を扱っており、教育という海、フィールドの広さを感じます。
教育史、カリキュラム、危機管理、学級経営、特別支援、ICT活用、発達支援、海外との比較、授業研究などなど…。


たまにちょっと重なる内容があったとしても、教授が違えば考え方も切り取り方も提示の仕方も違う訳で。
そしてそれを受け取る学生ひとり一人も、また感じ方が違う訳で、ディスカッションはとても盛り上がるのです。
教育の海は広いだけじゃなく、深いんだなあとも感じる日々です。知らないこと、見えていないことばかり。


小学校~高校までの教育だってそう。
え?なにそれ?って教科が、やってるうちに好きになることもある。
中学まで数学が苦手だった人が高校に入って好きになる事例もたくさんあるんですよ。信じられないかもしれないけど。


教員との相性とか、問題へのアプローチのさせ方とか、興味の持たせ方とか、成長の段階とか、もともと持ってる考え方や価値観とか、それまで受けてきた教育とか、そういう要素たちが複雑に絡み合って、教科の好き嫌いが決まるんですよね。


だから、平たく浅く教えることって、大事だと思うんです。
日本式の教育の良い所。


ただそこで良い教育を保証するには、良い教員が必要で。
つまり教員の問いかけひとつで、アプローチの仕方ひとつで、生徒の学問に対する姿勢を大きく左右してしまう。
教員とは、なんとも責任重大な職務です。


興味を持たせる
問題意識を持たせる
気づかせる
知的欲求を刺激する
考えたくなる問いを与える
感動させる


教え込むだけじゃ、これらは満たせませんからね。


本来は、どんな学問にだって感動があるはずなんです。
私は理系だけど、世界史も日本史も地理も古典も英語も、みんなそれぞれに面白いなって思うポイントがあるんですもん。
その面白さをどう切り取って、どう発信するか。


カリキュラムや授業進度と戦いながらも、そこを追求せねば。

#教師のバトン 知ってますか?

2021年04月21日 | 教育
大学院生をやっています。
院生室では様々な話が出ます。
教職大学院なだけあって教育に関する話が多く、聞いているだけでも面白いです。


今日は、教員の過酷さについての話が繰り広げられていました。
その上で、どの自治体で教員採用試験を受けるか、採用試験の対策をどうするかと議論しています。
ここにいる大学院生は、その過酷さも承知で教員を目指すんだなあと、頼もしくなりました。


ところで、
#教師のバトン
というハッシュタグが話題になっているのをご存じでしょうか?


もとはと言えば、文部科学省が
「時代の変化に応じた質の高い教師を確保するためには ~(中略)~
教職を目指す学生や社会人の方に、現職の教師が前向きに取り組んでいる姿を知ってもらうことが重要です。」
という理念のもとに、教育現場の奮闘を知ってもらおうと考案されたハッシュタグのようです。

→参考:「#教師のバトン」プロジェクトについて(文部科学省)


背景には教員志望者が全国的に減ってきており、
教員志望者を確保したい、教員という仕事の魅力を発信することで・・・
という問題意識があるようです。
たしかに、教員採用試験の倍率低下は顕著であり、喫緊の課題となっているのです。


しかしながらこのハッシュタグ、当初の予想とは別の方向へと展開しており、
現在は、教員の過酷な現状を訴える声で溢れかえるハッシュタグとなっているようです。

→参考:“教師のバトン” 想定超える悲痛な声(NHKニュース)


SNSで検索をかけてみました。
たくさん出てきます。
教員の大変さについて、うんうん、とうなずくものばかり。
確かに文科省の狙いとは違う方向で拡散しているようです。


もちろん、教員として11年働いてきて、過酷な現状は理解しています。
「いやー、きついなー、正直やばいなー」ってなったことも何度もあるんですけれど、
そのキツさを発信することには意味が薄いと思っていました。


それを受け取った人の反応として想定できるのは・・・
『あ、教員がヘルプ求めてる。やっぱり教員って過酷なんだなー。』
っていう教員に対するネガティブな反応だからです。


だからこそ、ポジティブな発信をしたいと思っていて、
教員やっててこういう楽しいことがあったんですよ!とか
教員冥利に尽きるのはこういう時ですよ!とか
教員としてこういうことを大切にしています!とか
そういう発信をしていきたいなと。


だって、そうしなきゃ、次の世代に胸を張ってバトン繋げないじゃないですか。
しんどさアピールして、誰がそのバトンを受け継ぐんだ?って思うのです。
バトンを受け渡さないって選択肢は、ありえないこの職業。
どうすれば心身ともに健康で働けるか、そのバランスのとり方を考えていきたいです。


せっかくのハッシュタグ、プラスになるような活用を考えていけたらなあと思うのですが、
あれなのかなあ。
文科省の作った「#教師のバトン」というハッシュタグで窮状を訴えることによって、
その声よ文科省に届け!
という気持ちも一方で理解できるのです。


どちらにしろ、教員という仕事のあり方について、
あなたの子どもを預ける、学校という場がどうあるべきかについて、
真剣に考えてくれる方が1人でも多くなってくれれば、ありがたいことです。

え、そんなに深めるの?ごんぎつねを??すごいですね。というお話。

2021年04月16日 | 教育
自分の生きている世界と違う世界。
そこから学ぶことはたくさんあります。
大学院では異文化との交流機会に恵まれていて、刺激を受けまくっています。


先日の記事では、外国の教育の話を取り上げました。
リンクはこちら→アメリカの教育を学ぶことで、日本の教育を捉えなおせる。


今日は、小学校での教育内容について。
「ごんぎつね」が題材でした。
正直言ってよく覚えておらず、授業前に読み直してみて「ああ、こんなお話だったか」と。
その程度の感想しか持たずに授業に臨んだんですが・・・


え、こんな部分をこんなにも読み取るの?
と、驚いてしまいました。
国語がそういう教科なのか、それとも小学校の先生たちの教材研究がすごいのか。


最後、ごんが火縄銃で打たれる前に、たくさんの栗を「固めて」置いた。
この「固めて」という表現から読み取れることは何か?


最初、その発問を聞いた私、ポカン。笑
でも周囲の先生方の解釈を聞くうちに、その質問の意図がようやく腑に落ちました。
なんで、バラバラじゃなく、固めて置いたのか。
そこに隠されたごんの心理状態はどんなものか。
また、その心理はどこからやってくるものなのか。
そういうことを聞きたい発問だったわけです。


話を聞くと、この「固めて」の部分だけを題材に1時間を使う研究授業もあったそうで。
おいおいマジかよ。と。


ただ、今日の授業でわかったことは、
確かに、その「固めて」という表現にそれだけ考える余地があること。
小学校4年生が自分の意見を持てる内容で、しかも自分と他の人との意見の相違を感じられる箇所であること。
そしてその感じ方の相違を味わって、自分との違いを受容できるようになるのが、
国語科の授業で身につけさせたいポイントとして、学習指導要領にも書かれているということ。


そして小学校の先生方の反応は、
「ごんぎつねはやっぱり定番だよね。私なりのその解釈は・・・」と言わんばかりにスラスラと口をついて出てくるのです。
すごい。どれだけ教材研究しているんだ・・・。


そして学生時代に何となく受けてしまっていた国語。
先生方はこんなにも教材研究をして、問題意識を持って指導してくれていたのか、と。
それはそれは申し訳ない気持ちになり、そしてもっと大切に授業を受けるべきだった!!と、
反省の念に駆られたわけです。


私の専門は、高校の数学。
それってあまりにも狭い領域で、
その外に広がる世界って、こんなにも豊かなんだなあと。
井の中の、いや、水たまりの中の蛙な自分を自覚させられました。


始まって3日でこれです。
学びって楽しいなあ。

アメリカの教育を学ぶことで、日本の教育を捉えなおせる。

2021年04月14日 | 教育
今日はアメリカでのインクルーシブ教育について学びました。
今まで、日本の情報にしか触れてきていなかったことを反省。
というのも、日本とは違うところがたくさんありすぎて、驚くことがたくさんあって。
その違いの多くが、文化や民族由来のもの。
日本で我々が考えている常識が、いかに凝り固まった先入観か。
そんなことを思い知らされました。


驚いたことをいくつかシェアします。


日本ではインクルーシブ教育というと、なんらかの障害を持った児童生徒の教育を指すことが多いけれど、インクルーシブという概念はもともと、「多様な子どもたちをひとつの場で教育する」というもので。
アメリカではまず第1に人種(言語)の壁、第2に貧富の差、そのあとに来るのが障害の有無に焦点を当てたものらしい。
たしかに言語が違ったら教育も難しい。
そして貧富の差についても然り。
日本でも今後もっと顕在化しそうな問題かも。


また現在、アメリカのいくつかの州では、特別学校(日本でいう特別支援学校)が廃止されつつある。
つまり、障害を持つ子どもが、普通のクラスにいる状態。
そのぶん手厚い支援が必要であることはもちろんで、
今日のモデルとなった学校は、小学校の20人学級に教員が2人ついていた。
生徒10人に1人。
ものすごくたくさんの教員が必要で、
これは日本の学校ではまず考えられない。


日本では特別支援学校を設置し、支援が必要とされる子供たちには手厚く。
それ以外の子供たちは35人学級として、1人の教員が担当しているからこそ、他国に比べて教育予算が圧倒的に少なく収まっているのだろうなと。
そんなことを考えていたら、教授からの発問。
「じゃあ今の日本で、『特別支援学校を廃止して、いきなりアメリカ式に変えまーす!』
と言ったら、猛反対が起こりますよね。誰がいちばん反対すると思います?」
これ、けっこう考えさせられていて。
みなさんも考えてみてください。


それから、アメリカではホームスクール(学校ではない場所での教育)も認められているらしい。
土地が広大なため、昔は通学できない子どもが多かった、という背景から生まれた制度のよう。
今はこの制度のおかげで、学校に来にくい子供はホームスクールを選択することができるため、不登校がほぼいない模様。
うーん、なるほど。
良くも悪くも。


それから、学校の基本情報について。
日本では学校の概要というと、
全校生徒○○人、男子○○人、女子○○人、〇クラス
今日出てきたアメリカの学校概要は、
生徒数○○人、黒人○○人、白人○○人、スパニッシュ○○人、貧困層○○%、障害児○○人
えっ!そこ!?
人種とか、貧困率とか、日本では気にしないような情報がオープンになっているそう。


ほかにも、アメリカでは13歳未満の子どもは、大人の管理下になければいけないらしい。
管理下とは、子どもの半径15メートル以内。
日本では小学生だけで登校し、小学生だけで下校するなんて普通だけど、
アメリカではそれは許されないのだと。
だから留学生は日本の子どもの放課後の過ごし方にびっくりするらしい。


こうやって外からの情報を仕入れて比較することで、
今まで考えていた常識を揺さぶられる。
我々の当たり前って、なんで当たり前なんだろう?
やはり私たちの常識は、民族的な歴史とか文化から紡がれてきた生活様式によって生み出されてきたものであって、教育に関してもやはり、我々の考えている当たり前は、日本という国だからこそ当たり前になってきたものなんだと。


そしてそれは良くも悪くもなところがあって、
日本の教育が直面している現状をありのままに捉えて、受け入れて、
教員や保護者ひとり一人が、その問題点に対してどうアプローチしていくか。
広い視点から考えて、議論して、行動していきたいですね。