学校という場のありがたいところは、多岐にわたる教科を平たく浅く教えてくれること。
自分自身だけの力でそれぞれの学問を学び始めたり、問題の所在に気づいたりすることは難しい。
だからこそ、教員からその「問い」を与えてもらえることで、自分の興味の所在や関心の対象に気づける。
学んだ結果として、興味のある、なしはもちろん出てくるけれど、
興味があるかないかなんて、学んでみないと、与えてもらわないと、自分自身の力だけではわからなかったこと。
それに、食わず嫌いだったものにも触れることで、「好き」に変わるかもしれない。
嫌いなものだって、アプローチを変えてもらえることで、違う角度から切り取ってもらえれば興味がわくかもしれない。
今、学んでて、そう思います。
考えたいことがたくさんあります。
前期の授業のコマ数は10コマ。プラス実習。
もちろん10コマとも違う内容を扱っており、教育という海、フィールドの広さを感じます。
教育史、カリキュラム、危機管理、学級経営、特別支援、ICT活用、発達支援、海外との比較、授業研究などなど…。
たまにちょっと重なる内容があったとしても、教授が違えば考え方も切り取り方も提示の仕方も違う訳で。
そしてそれを受け取る学生ひとり一人も、また感じ方が違う訳で、ディスカッションはとても盛り上がるのです。
教育の海は広いだけじゃなく、深いんだなあとも感じる日々です。知らないこと、見えていないことばかり。
小学校~高校までの教育だってそう。
え?なにそれ?って教科が、やってるうちに好きになることもある。
中学まで数学が苦手だった人が高校に入って好きになる事例もたくさんあるんですよ。信じられないかもしれないけど。
教員との相性とか、問題へのアプローチのさせ方とか、興味の持たせ方とか、成長の段階とか、もともと持ってる考え方や価値観とか、それまで受けてきた教育とか、そういう要素たちが複雑に絡み合って、教科の好き嫌いが決まるんですよね。
だから、平たく浅く教えることって、大事だと思うんです。
日本式の教育の良い所。
ただそこで良い教育を保証するには、良い教員が必要で。
つまり教員の問いかけひとつで、アプローチの仕方ひとつで、生徒の学問に対する姿勢を大きく左右してしまう。
教員とは、なんとも責任重大な職務です。
興味を持たせる
問題意識を持たせる
気づかせる
知的欲求を刺激する
考えたくなる問いを与える
感動させる
教え込むだけじゃ、これらは満たせませんからね。
本来は、どんな学問にだって感動があるはずなんです。
私は理系だけど、世界史も日本史も地理も古典も英語も、みんなそれぞれに面白いなって思うポイントがあるんですもん。
その面白さをどう切り取って、どう発信するか。
カリキュラムや授業進度と戦いながらも、そこを追求せねば。
自分自身だけの力でそれぞれの学問を学び始めたり、問題の所在に気づいたりすることは難しい。
だからこそ、教員からその「問い」を与えてもらえることで、自分の興味の所在や関心の対象に気づける。
学んだ結果として、興味のある、なしはもちろん出てくるけれど、
興味があるかないかなんて、学んでみないと、与えてもらわないと、自分自身の力だけではわからなかったこと。
それに、食わず嫌いだったものにも触れることで、「好き」に変わるかもしれない。
嫌いなものだって、アプローチを変えてもらえることで、違う角度から切り取ってもらえれば興味がわくかもしれない。
今、学んでて、そう思います。
考えたいことがたくさんあります。
前期の授業のコマ数は10コマ。プラス実習。
もちろん10コマとも違う内容を扱っており、教育という海、フィールドの広さを感じます。
教育史、カリキュラム、危機管理、学級経営、特別支援、ICT活用、発達支援、海外との比較、授業研究などなど…。
たまにちょっと重なる内容があったとしても、教授が違えば考え方も切り取り方も提示の仕方も違う訳で。
そしてそれを受け取る学生ひとり一人も、また感じ方が違う訳で、ディスカッションはとても盛り上がるのです。
教育の海は広いだけじゃなく、深いんだなあとも感じる日々です。知らないこと、見えていないことばかり。
小学校~高校までの教育だってそう。
え?なにそれ?って教科が、やってるうちに好きになることもある。
中学まで数学が苦手だった人が高校に入って好きになる事例もたくさんあるんですよ。信じられないかもしれないけど。
教員との相性とか、問題へのアプローチのさせ方とか、興味の持たせ方とか、成長の段階とか、もともと持ってる考え方や価値観とか、それまで受けてきた教育とか、そういう要素たちが複雑に絡み合って、教科の好き嫌いが決まるんですよね。
だから、平たく浅く教えることって、大事だと思うんです。
日本式の教育の良い所。
ただそこで良い教育を保証するには、良い教員が必要で。
つまり教員の問いかけひとつで、アプローチの仕方ひとつで、生徒の学問に対する姿勢を大きく左右してしまう。
教員とは、なんとも責任重大な職務です。
興味を持たせる
問題意識を持たせる
気づかせる
知的欲求を刺激する
考えたくなる問いを与える
感動させる
教え込むだけじゃ、これらは満たせませんからね。
本来は、どんな学問にだって感動があるはずなんです。
私は理系だけど、世界史も日本史も地理も古典も英語も、みんなそれぞれに面白いなって思うポイントがあるんですもん。
その面白さをどう切り取って、どう発信するか。
カリキュラムや授業進度と戦いながらも、そこを追求せねば。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます