夜明けのダイナー(仮題)

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敵がいなけりゃ

2012年07月21日 21時58分31秒 | 持論・主張

一見、平和な街に見えてたのに……


俺は日頃から思ってるが
 ・一人なら葛藤はあれど喧嘩にゃらならない
 ・二人居れば既に意見の相違が発生するから敵になる可能性が発生する
 ・ましてや集団になれば個々の意見の衝突があり、差別等も発生する
 ・その集団が個人攻撃を行えば『いじめ(と言う名の攻撃)』が発生する
よって世の中から『いじめ根絶』ってのは残念ながら無理だと思う。
(しかし、努力によって『いじめ』の減少は出来ると思う)


今回、大津で発覚した『いじめ(と言う名の恐喝暴行殺人事件)』は、何が原因か諸説あるが結局は弱いものに対する集団心理がエスカレートして最悪の結末になったと思う。
明らかな『たら・れば』で申し訳ないが、最近愛知県・東三河某市で発覚した『いじめ(と言う名の自殺追い込み)』は親・教師が適切に動いたからか最悪の結果にはならなかったが、この大津のケースでは『政(市)・官(警察)・民(学校)』が全く機能しないと言う、何とも言えない事態だったと言うしか無いと思う。

何せ
 ・学校は事態の隠蔽を図り(職務怠慢の事なかれ主義)
 ・警察は捜査する気も無く(職務放棄の給料泥棒)
 ・市は静観するのみ(『お役所仕事』の典型)
で、去年の出来事が今年の今頃になって事態が肥大化してもなお重い腰を上げずに
「(『いじめ』は)無かった」とか
「(去年の出来事なのに今更)緊急対策を行う」
とか、どこまでも対岸の火事を気取ってらっしゃる。 もうね(今更だけど)
何を信用すれば良いんだ?
『大津事件』の対応を見ると、自衛しか手段は無いものか。 と思えて来ますね。
(冗談で「引きこもりニート最強!」って言葉がありますが、あながち冗談に聞こえませんよね)


以前、ザウルス一号の通う小学校の保護者懇談会に出席しましたが、自分を含めて
「多少の体罰は容認します」
って保護者の意見が結構出てました。 幸いな事に『モンスターペアレンツ』っぽいのは見当たらなかったので一安心と言った所でしょうが、教師側としても教師への『縛り』がキツくなってる昨今ですので指導の加減って難しいのが現状でしょうね。
でも『傷害現場』を見て「やりすぎるなよ」の一言で終了し、教え子が亡くなってるのにも関わらず鼻歌で取材拒否する教師は
資格を剥奪しろ!
と思う。 生徒も、そんな教師の下で教えを乞う気にもなれないと思うが……。
教育委員会も「やりすぎるなよ」の一言で「『いじめ(と言う名の傷害事件)』を止めた」とマジで思ってるなら、明らかな機能不全なので解体した方が良いと思う。 
それに、改めて『少年法』についても考えるべきと思う。
本来は『守られるべき』青少年が、法を逆手に取って振りかざし楯にして犯罪行為を犯す現状からみて「責任能力の有無」を語るのはおかしいと思う。
権利ばかり主張して義務を果たさないってのは許されない事を教える事も必要なのに、ダンスだ外国語(英語以外)だの教えてる場合か? まぁ教育指針を設定する大人がアホウじゃ何を言っても意味は無いがね。










――この事件の背景にキナ臭さを感じたのは俺だけじゃ無かったらしいが、それが情報として流れるのは『ネット社会』の善悪のどちらと言えるのか……

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