僕はオステが大好きなのはご存じとは思いますけど、それはオステの根底に流れる、(誤解を恐れずに言うと)(哲学の部分さえブレなければ)何でもありの考え方です。
オステの創立者、スティルさんはお弟子さんに、哲学・考え方・学び方だけを教えて決してテクニックは教えなかったと言います。これはテクニックを秘密にしていたってわけではなくて、テクニックを教えてしまうと、それがオステとして固定されてしまって、さらなる発展が困難になると思われてのこと・・と聞いてます。
そこで、術者は構造の把握と原理の応用によって個人個人がそれぞれでテクニックを編み出して行くのです。ロ、ロマンチック!
実際、頭蓋や内臓の分野はこうして後に続くものが開発して、本流に取り入れられたものなのです。
さて・・じゃあ、北斗神拳がなんで出てくるのか?
北斗神拳は一子相伝、オステとは全く相容れないもののように感じますよね。が、ネットにある北斗の拳考察サイトである密教のお坊さんが読み解かれた事をすごく大まかにまとめますと
北斗神拳は、ラオウ、トキ、ケンシロウそれぞれの格闘スタイルをみると分かるが、「秘孔」を突いて相手を内部から破壊するという事を除くと、あまりにも違いすぎる。
詳しくは忘れたけど、トキは陳氏太極拳、ケンシロウはジークンドー(ブルース・リーの創始した武術)、ジャギは暗器を使うし、ラオウもなんとかって言う別の拳法の動きなわけです。
そのサイトの方の考察によれば、秘孔でさえもかつて他の流派からもたらされたものであると言います。
では、北斗神拳とは何かと言いますとそれは・・・
北斗水影心
に、その全てがあるのでは無いかとおっしゃるのです。この技は、一度みた相手の技を自分のものに出来ると言うズルい技なのですが、これこそが「見切り」を生みだし、戦えば戦うほど進化して無敵に近づく、北斗神拳の本当の凄みではないか・・・と。
なるほど・・・
北斗神拳と言えば我々はあの派手な人体爆発にばかり注意を向けてしまいますが、一度みた相手の技を自分の技と出来れば、封じることも自在と言うこと、それは強いですよ!
えーとつまり、うまくまとまってないですが、オステにおける原理原則・哲学の部分が北斗神拳で言うところの・・・
あれ? なんかおかしいな・・。
まぁあの~ つまり、根本の部分さえ見失わなければ、色々と取り込んでいって良いってのを主張して、僕の何でもありを肯定したかったのだけど、なんとなくうまくいきませんでした、とさ。
けど、なんか強引で面白かったでしょ? その北斗考察サイトは相当面白いので是非ご覧ください。