今回は先日逝去された坂本龍一氏について取り上げます。
坂本龍一氏については多くのメディアやブログ・コラムでも取り上げられて
いますので、改めて経歴などのご紹介はしません。
たぶん、多くの方にとっては最近の音楽活動のイメージが強く、坂本龍一氏
といえば「音楽家」というイメージだと思います。
年代的に上の方だと、YMOや映画出演のイメージも大きいかもしれません。
そうした方々には「アーティスト」という言葉の方がしっくりくるのかもし
れません。
私はどちらかというと中期から後年にかけての坂本龍一氏のイメージはそれ
ほど強くありません。
私のイメージでは「音楽家」というよりも、「ミュージシャン」、それもど
ちらかというと「セッションミュージシャン」のイメージが強くあります。
坂本龍一氏はYMO以前の活動がどちらかといえば、スタジオ・セッション系
の仕事が多く、特に70年代後半にかけてはこうしたセッションを数多く残し
ています。
リーダー作のイメージよりもサポートのイメージが強く、玄人好みのプレイ
で数多くの録音を残しています。
個人としては特に好きなミュージシャンではありませんでしたが、多くの名
演といわれるセッションに坂本龍一氏が関わっていました。
YMOのメンバーである細野晴臣氏や故・高橋幸宏氏との交流もこうした流れ
から生まれたものなので、そういう意味では地味ながらも活動の交流でその
後の活動の源泉ともなったのではないでしょうか。
最近は坂本氏はアコースティックピアノの演奏が有名ですが、活動初期の頃
の名演を支えたのはローズピアノでした。
ギタリストの渡辺香津美氏などのセッションやレコーディングなど、数多く
の名演を初期の頃には残しており、ローズピアノの名演も多く聞くことがで
きました。
今でもYoutubeなどで視聴することができますが、静かな最近の演奏よりも
クールながらパッションを感じさせる演奏スタイルは当時はまだ若いながら
も渋さを持ち、独特のセンスでメインとなるミュージシャンを支えることで
多くの名演となるものが生まれたように思います。
最近の活動はどちらかというと静のイメージなので、昔の音源からはそうし
たイメージとは少し遠い坂本氏のテクニックを感じとることができます。
正直、YMOの時代はいったいどうしちゃったんだろうというような驚きもあ
りましたが、坂本氏の中では音楽としての哲学は直線的に並んでいて、その
後のピアノ一本での創作演奏活動も決してイメージが飛んだ訳ではなく、彼
の頭の中では一本の線として繋がっている表現のセンスになっていたのかも
しれません。
常に時代の先端を走り、その中でも流行を追う訳ではなく、どちらかという
と地味にシックに音楽を芸術として極める、そんな姿勢が坂本氏にはあった
のかもしれません。
また、お笑いが好きだったということで、テレビのお笑い番組にも出演した
りするような敷居の低さも持った人でした。
あらゆる意味で固定的ではなく、常に流される訳でもなく、自らの進むべき
道を希求していく姿が、ある時は「ミュージシャン」であり、ある時は「ア
ーティスト」であり、最後に「音楽家」としての位置に辿り着いたというこ
とになるのかもしれません。
音楽が多様化する中で、自身の活動も多様化を極め、その中で時代ごとに変
化を見せながら進化したのが坂本龍一という芸術家だったのかもしれません。
哀悼をささげたいと思います。 合掌
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