アリクマの日常

日常のできごとや思ったこと。好き:スピッツ、羽生くん、西島さん、ディーン様、松下洸平くん、森川さん、津田健・・・

地震・・・その後2

2011-03-15 21:22:12 | 日記
携帯の電池が切れそうだったので、夜から電源をOFFにしていた。
次の日、土曜日の朝は、いい天気。ソーラー充電で13%まで回復したので、電源を入れた。
メールが次々と入ってきた。心配してメールをくれた友人、弟妹からだった。
電波が入るところを探して、第1報を返信した。その後家の周りは圏外になる。
無事を伝えられたことはラッキーだった。
メールの中に、母からのものがあった。
「避難しています」とだけ。いったいどこに?まさか冠水した避難所?と、不安になる。
送信時間は、地震から9時間後になっていた。ということは、無事なのか?

相変わらず、電気も水もガスも出ない。
朝食は、冷蔵庫にあった冷たいご飯。そして缶詰のイワシの醤油煮。
マンションの非常用水が出ているので、汲み置きをした。
夫は、その作業の後、仕事に出かけた。
コミセンに避難している人が、「これから炊き出しをする」というので、私もコミセンに行った。
非常食のα米にお湯を入れるために大鍋でお湯を沸かそうとしていた。
水が足りない。そしたら、すぐ近くで水道管から水が漏れて噴き出している、という情報があった。
そこから水を汲んでこようということになり、手伝った。
工事現場の水だった。そこには新しく産婦人科が建つ予定だということで、すでに水を汲みに来ている人がいた。産婦人科の先生だった。陣痛が始まっている妊婦さんがいて、そのために水を必要としていた。
それでも、私たちのために、どうぞ出るぐらい持って行ってください、と。
私たちも、そのお医者さんたちに水の容器をあげた。
こんなときだからこそ、生まれてくる赤ちゃんに希望を託したい。

アルファ米は、わかめごはんだった。温かいお湯をパックの中に入れて20分ほど蒸らすと出来上がり。ひと箱50人分で3箱しかない。お湯がまだ沸かないうちから、ご飯を求めて行列ができている。
パックにご飯を入れて配るのも手伝った。途中で阿部かまのトラックが来て、笹かまぼこを差し入れしていた。わかめごはんと笹かま1枚が昼ご飯だ。決しておいしいとはいえないわかめご飯だが、温かいだけでもうれしい。

午後になって、夫が帰ってきた。
冷蔵庫の中はぬるくなりつつある。夫は北側にある雪を袋に入れて、冷蔵庫に入れた。少しでも冷やそうという考えだ。冷凍していた肉はほぼ半解凍になってしまったので、しょうが醤油につけて保存することにした。冷凍食品はそのまま雪の下においた。
コミセンでは、お湯を沸かしていたので、ポットを持ってお湯をもらいに行った。
笹かまが残っていたらしく、もらって帰ってきた。
その後近所のスーパーに1時間近く並んで、チョコレート、さつま揚げ、ビタミンウォーターなど買い出し。カップラーメンや水は売り切れていた。

夕食は冷凍庫から出しておいたご飯にお湯をかけて。さつま揚げ、笹かま、漬物がおかず。
自然解凍のご飯はおいしくない。でも朝よりはお湯をかけた分だけ、ましな味。
2日目の夜もリビングで就寝。ラジオから流れてくる情報は悲惨な状況を知らせていた。

・・・続く・・か?
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地震・・・その後 

2011-03-15 14:47:58 | 日記
家に帰りついてから、部屋に入った。引き出しがすべて開いていた。開いていたドアは閉まっていた。仏壇は上の段がずれていて、位牌と写真が落ちていた。食器戸棚は開いていなかったが、中で崩れ落ちているようだった。自分の部屋のパーテーションが倒れていた。すべての家具が元あった場所よりも数㎝から数十㎝、ずれていた。奇跡的に、テレビは倒れていなかった。
倒れたものはそのままで、ブレーカーを下ろし、コンセントを抜き、ガス栓を閉めた。
薬や身の回りのもの、毛布を車に積み込んで、夫の帰りを待った。
炊飯器のご飯をおにぎりにして持った。
けれど、全く連絡がつかないし、夜になっても帰ってこない。 
近くのコンビニに行った。シリアルとアクエリアス、ゼリーぐらいしか残っていなかった。暗い中、自分で値段と個数をメモしてレジに持っていき、店員さんが電卓で計算して販売するという方法。そうやって真面目に買っていく人たちが多いのだ。ニュースでコンビニ窃盗の記事を見ると、頭に来る。

電気とガスは止まっている。マンション全体が暗い。
車の中で夫を待っていたが、同じマンションの人に「コミュニティセンター」に避難しているよ、と言われ、そこに行くことにした。
雪は降っているし、コミセンの照明は発電機のライトひとつとハロゲンヒーターの明るさだけ。毛布だけではとても寒い。その間にも何度も揺れる。コミセンの和室はぎゅうぎゅう詰め。
1人で心細かった。おまけに携帯の電源は20%以下。電話をかけてもどこにもつながらない。ネットもできない。とりあえず夫にメールで「コミセンにいる」という連絡だけして、暗い場所で待っていた。

夫が来たのは午後11時近く。メールは届いていたので、迎えに来てくれた。
自宅に帰ることにして、真夜中に懐中電灯をあるったけ出して明りを確保。
朝のおかずの残りと、おにぎりを夕食にした。
携帯ラジオもあり、乾電池の予備もあったので、何とか夜を過ごすことができた。
それでも、怖くてカーテンを閉めることはできなかった。自分の部屋で寝るのも怖いので、リビングに布団を敷き、服を着たまま横になった。うとうとしたのは、朝方だけだったかも。
ほとんど寝ていない感覚。ラジオでしか情報を得ることができない。
大津波の情報には耳を疑った。実家の避難場所のはずの小学校まで津波で冠水したらしい、と知り、母はどうなったのか、心配だった。
・・・続く
コメント (3)
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