兎月庵日記

五句三十一音詩は名称を変えつつ時代の波をくぐり抜けてきた。衰退と復活、上記視点から五七五七七の未来図を航行しています。

唯一、所蔵の和本

2024-07-21 21:35:06 | 日記

『一本亭追福狂歌集』の翻刻に励む。歩数は847歩だった。

【参考】

自己資金で買った私有物だから、何をしてもよいではないかという考えではなく、和本をもった人は「自分がこの本の最終所有者ではない」という自覚をもつべきだと思う。そこが一般の洋装本と大きく違うところである。和本をもつ一人ひとりがその遺産の保護者であるという意識をもつべきだろう。そして数百年後、いや千年後にも同じ容貌で人々に披露されることを願うのである。

(平凡社ライブラリー744、橋口侯之介著『和本入門 千年生きる書物の世界』252頁)

 

まだまだ‥

2024-07-20 21:38:41 | 日記

『一本亭追福狂歌集』の翻刻に励む。印象としてラフ、『狂歌東乃春』より読み辛い。黒丸夥し。歩数は2,081歩、但し洗濯物を干したり等で終日家居である。

【参考】

貝原益軒の『和漢名数』がベストセラーとなって二千部売れたというのは例外である。和本のほとんどは数十、数百部の世界で、前に述べたように、それぞれの本が「刊印修」で微妙に出版時期が異なる。そのうえそれが百年、二百年と経過して分散離合もはなはだしく、ひとつひとつが違った歴史的経過を経て今日にいたっている。そのため同じ書名、同じ著者であっても、刷りや装訂のまったく同一の本に出会うことはめったにない。だから、どのように作られたのか、どう伝わったのか、どのように読まれたのか、あるいは利用されたのかといった個々の相違を示すことがらを、個別の情報として見ることに意義がある。

(平凡社ライブラリー744、橋口侯之介著『和本入門 千年生きる書物の世界』203~204頁)

 

位置情報

2024-07-19 21:30:37 | 日記

『一本亭追福狂歌集』の翻刻に励む。娘と三人の孫来宅。終日家居、歩数は778歩だった。

【参考】

手元にある本が、いつ初版が出て、最後出版されなくなるまでの間の、どの段階のものかを調べるのが位置情報である。和本の場合は同じ署名の本であっても、ひとつとして同じものがない。一回に版元(はんもと)から出す本は、おそらく数十部という程度なので、(百部を超えたら多いほうだろう)、今日残存しているものは、ほとんどの場合刷られた時期が微妙に違う別の本である。

(平凡社ライブラリー744、橋口侯之介著『和本入門 千年生きる書物の世界』104頁)


くずし字、個性その他

2024-07-18 21:09:51 | 日記

『一本亭追福狂歌集』の翻刻に精を出す。『狂歌東乃春』と筆者が違う。当然、字体がが違う。くずし字も、どのくずし字かにたどり着くのが大変である。初読に黒丸が夥しいのはそのためである。印象だが『狂歌東乃春』より自由度の幅が広いというのか、読み辛い。歩数は374歩、終日家居である。


橋口侯之介 和本入門 より

2024-07-17 21:55:58 | 日記

『一本亭追福狂歌集』の翻刻に終始する。歩数は822歩だった。

【参考】

和本では頁(ページ)といわずに丁(ちよう)(略)であらわし、紙一枚単位で数える。それぞれを折りたたんで製本するので、今の本でいえば二頁で一丁である。しいて頁に相当する表現をしたいときは半丁といい、見開き左側を表(略してオ)右側を裏(ウ)という。具体的頁数を示すときは「第十二丁オ」、あるいはただ「十六ウ」などと書く。

(平凡社ライブラリー744、橋口侯之介著『和本入門 千年生きる書物の世界』41頁)