PHP『心に響く・名経営者の言葉』
第5章 挑戦する言葉・No.001
「私にとりえがあるとすれば、
ただエンジンが好きで好きでたまらず、
それに没頭できたことだ」
山岡孫吉 ヤンマー創業者 (1888~1962)
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山岡孫吉は滋賀県高月町(現在の長浜市)に生まれた。明治45(1912)年に
大阪で山岡発動機工作所を創業。
だが、第一次世界大戦後に訪れた不況により会社を閉鎖せざるを得なくなる。
故郷へ戻った山岡は石油発動機の開発に乗り出し、それに成功。
山岡発動機工作所は再び息を吹き返した。山岡はこの発動機に「トンボ」という
名前をつけて発売しようとしたが、この名前はすでに静岡県の醤油メーカーによっ
て商標登録されていた。やむを得ず、トンボの王様といわれるオニヤンマにちなん
で「ヤンマー」と名づけた。
その後、ドイツヘ渡ってディーゼルエンジンに出合うと、超小型ディーゼルエンジン
の開発に着手した。軽油を燃料とするディーゼルエンジンは効率のよさで知られて
いたが、小型化は不可能とされていた。
だが、同僚たちとともに開発を続け、昭和8(1933)年に五馬力の小型水冷ディー
ゼルエンジンの開発に世界で初めて成功したのである。
このディーゼルエンジンの成功に疑いを持たなかった山岡は、開発の翌年に4万平
方メートルの敷地を購入するとともに、山岡内燃機株式会社を設立して社長に就任。
昭和11年から量産体制に入った小型水冷ディーゼルエンジンは、彼の読みどおり
年3万台のハイペースで売れ、太平洋戦争が近づくと同社は軍需会社にも指定される
ほどにまで成長を遂げた。だが、軍需会社に指定されたことが裏目に出て、終戦直前に
アメリカ軍の爆撃によって被災。建物の七割、機械設備の三割を一日にして失ってしま
った。 終戦後の昭和27年に社名をヤンマーディ-ゼル(現在のヤンマー)と改称。
耐久性の高いエンジン技術は、今も定評、があるところだ。
山岡の技術力の高さは日本よりもドイツで有名で、昭和30年にドイツ発明協会からデ
ィーゼル金賞碑を、さらに昭和32年にはドイツから「ドイツ大功労十字章」を受賞した
ほどだった。
本人は「ただエンジン、が好きだっただけ」と謙遜するが、
これはまさに「好きこそ物の上手なれ」ということだろう。
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放下着(ほうげじゃく)
得るよりも捨てることで幸せを見つける。
あれもこれも欲しいものが多いのに捨てることができない。
物欲や執着心を捨て、余計なものを持たずシンプルに生きると心が軽くなる。
:気持ちが楽になる禅の言葉より
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