楽天爺さんの気まぐれ日記

・田舎暮らしを楽しんでいます。

心に響く!!名経営者の言葉No.010

2018-05-16 | 先人の知恵に学ぶ

PHP『心に響く・名経営者の言葉』
   第1章 ビジネスチャンスのつかみ方・No.010

「よいアイデアの生まれるのは
  儲からなくてなんとかしようと
   苦しんでいるときである。だから私は、
    儲かることをあまり喜んでいない」
     早川徳次・シャープの創業者(19931980

 早川徳次は東京の商家に生まれた。
もとは裕福だったが、徳次が生まれた頃には家業が傾き、養子に
出された。だが、食事も満足に与えられないような扱いを受け、8歳
になるとかんざし屋に奉公に出されてしまったのである。
 徳次は、18歳のときにかんざし屋で身につけた金属加工技術を利
用し、ベルトに穴を開けずに使えるバックルを発明。
 徳次はこのバックルを「徳尾錠」と名付け、明治44(1911)年に特許を
取得。そして、50円の資金で独立した。ちなみに、独立資金50円のう
ち40円は借金で、最初の従業員は彼を含めてわずか三名だった。
 爆発的なヒットになった徳尾錠の売上げで、徳次はまた新しい発明を
した。それが、シャーブペンシルである。彼は大正4(1915)年に「早川
式繰出鉛筆」として特許を取得。
 当初の売行きは芳しくなかったが、欧米に輸出したところ大ヒットとなり、
それにつれて日本での売上げも仲びていった。
 大正21年。事業を拡大しつつあった徳次を関東大震災が襲う。
震災によって彼は妻と2人の子ども、そして工場を失う。
 彼は、シャープペンシルの特許を日本文具会社に売却して借金をすべ
て返済し、大阪へ移った。
 大正13年に早川金属工業研究所を設立した徳次は、日本文具会社の
下請けをしながら、当時アメリカから輸入され、ひどく高価だったラジオの
国産化に挑戦。大正14年に完成したラジオは、ちょうどその年から大阪
でラジオ放送が始まったのを受け、爆発的に売れた。
 これが、現在のシャープの基礎になったのである。

人生山あり谷ありとはいうが、これほど起伏の激しい人生も珍しい。
 凡人ならへこたれてもおかしくない状況だが、徳次は谷にあっても必ずチ
ャンスをつかんだ。冒頭の言葉どおり、山頂にいるときは「喜べない」といっ
ているほどだ。人生の谷間にいると、「もうダメだ」と思いがちだが、
谷間にこ
そチャンスやヒントがある思えば、乗り切ることができるはずだ。

  


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