突然ですが 念願のカフェ研究の本を出版することになりました!
あと10日後には本屋さんやアマゾンで買えるようになります!!
気恥ずかしいのでタイトル含め詳しいことはまた後述しますが
こんな想いで書きました ということを今日書く機会があったので
載せておきます。興味があったら是非読んでください。
ちなみに私から直接も買えます。。。
高校時代からカフェや喫茶店に憧れていた私が念願のフランスに留学したのは2001年の秋だった。交換留学協定の結ばれていたパリ政治学院という学校は、商学部で政治に興味を持たない私には始めから遠い存在だった。たまたまそこに通ったものの、フランス語ができないばかりか扱う分野にまるで興味が持てないままの私が逃げ込んだ場所、それがサン=ジェルマン=デ=プレ界隈のカフェだった。パリで苦しい思いをし続けて泣きそうになった私に向かって、母は国際電話でこう言った。「だったらカフェにでも行っていればいいじゃない!」母から許可を得たのをいいことに、一日何度もカフェに通い、それだけではもったいない、と小さなメモをとりはじめ、そこから研究がはじまった。
次第に私はカフェという場の底力に気がつき始め、新しい時代が生まれる熱気がカフェという場にあるのでは、と思い始める。そんな折り、カフェという場からフランス革命や様々な芸術運動が生まれたことを耳にして、何故カフェからそれらの熱い動きが生まれていったのか?というのが私の大きなテーマになった。
日本に帰国し、パリのカフェと日本のカフェとの違いについて発表し始め、気になりつづけたカフェという場と社会運動や「天才」達との関係性を探ろうと、大学院にまで行くことになる。どうしてこうも偉人達とカフェという場は結びついているのだろう?実は「天才」たちがカフェに通ったわけではなくて、カフェに通った者たちが、のちに「天才」になっていったのではないのだろうか?そうでなければこの天才の羅列のような関係性は説明できない。百年前のパリのカフェに自ら通って自分を高めた「天才」達。どうして彼らはカフェという場に通うのだろう?
カフェという場にはいったい何が隠されていたのだろうか?彼らが発する声を聞こう。その言葉の奥の方に隠されているメッセージとは一体どのようなものだろう?それをずっと探りたかった。そう思いながらカフェで研究をし続けて、ある時ふっとわかる日が来る。「ああそうか!彼らが書いたことというのはこのことなんだ!」カフェに通い、休学して自分でカフェを運営し、様々な人と心通わせるカフェという場での出会いの中で、気付いた視点が沢山あった。それらを研究に還元し、研究を社会に還元したい。もっと沢山の人にどうかそのエッセンスを知って欲しい。そんな想いで私の研究は本になる。今のご時世、私と同世代の若者達はカフェには通うこともなく、喫茶店にも行きはしない。
しかし私は最近の暗いニュースを見るたびに、もっと多くの人がカフェを使えば、カフェがもっと使える場所になったなら、恐ろしい事件も減るかも知れないと思わされる。カフェという場は逸脱者たちの避難所であり、逸脱者たちが出会うことで思いがけないプラスの力が働くこともある場所なのだ。この時代、路地や縁側という場のように、カフェという、何気なく行くだけで出会いがあって救われる、それだけでなく思いがけないプラスの力が働くような、そんな場所が求められている、そんな気がする。カフェという場は私だけでなく多くの人を救ってくれる。この研究を始めて以来、研究においても実践においても通うことでも、私はそれを痛感してきた。よいカフェはその近辺の空気の浄化装置となって、よどみを力に変えさせる。
どうか一人でも多くの人が、カフェという場の力に気付いてカフェに通い、誰かと出会い、救われて、かつ何かが生まれてくるように、そしてそんな居心地がよく通えるカフェがもっともっと増えてくれるよう、そんな想いで本書は本になりました。