子どもの頃から何しろ・・・よく食べる子でした。
ガツガツというより澄ました顔してモクモクと長々食べているタイプ。
父が玄米食を取り入れていて、母は料理上手というわけではありませんでしたが、食い意地が勝ってました。
とても贅沢だったのが、釣りの好きな父が新鮮な魚やイカ・タコを釣ったり、素潜りで貝をとってきて食べさせて
くれていたこと。父がさばいたフグも恐る恐る食べて舌鼓うってましたね。
振り返れば、あれだけ食べても肥満にもならず、健康でいられたのは身体にいい食事だったのでしょう。
親に感謝です。
食生活が大きく変化したのは高校2年生の秋。
思春期にどっぷりはまって、心の穴を埋めるように異常なほど食べ始めました。
しかもなぜか、食パン、菓子パン、米飯・・・と炭水化物ばっか。食パンにはマーガリンたっぷり。
ひどい便秘にもなりました。
お腹ははちきれそうに苦しいのに、食べたくないのに、なぜ止められないのか・・・
食糧難の途上国と飽食日本の差に心を痛めていただけに、自己嫌悪に陥る日々でした。
吐くことはなかったので激太り。年頃なだけに更に自己嫌悪。
元来食べることに執着心が強かったことが「依存」という形になってしまったのでしょう。
この経験から「食と心」の強い結びつきを実感しました。
ダイエットでも「わかっているのに、できない。」はよくあることですね。後に栄養指導でもそこの心理を探るのに役立ちました。
いわゆる過食症で、食べることが「好きなこと」から「苦しいこと」になっていましたが、進路は消去法で栄養士を選びました。
短大入学と共に新聞奨学生となり、実家を出て朝夕の配達や賄い作り・学校生活の両立は極度の睡眠不足とストレスの日々。
人生であんなに眠い毎日はありませんでした。
(思い返せば無茶して楽しいことも沢山ありましたが!)
そんな生活の中でやはり過食はてっとり早いストレス解消法でしたが、ひどい便秘で気分がすっきりするわけもありません。
栄養バランスもダメダメでした。
実家に帰ってからは、「しっかり睡眠をとるってなんて気持ちいいんだろう!」と感動しました(笑)
食事の内容にも気をつかうようになり心と体の変化を実感しました。
徐々に過食の頻度は減っていきましたが、一度ついたクセ、生活習慣を改善するのには8年ほどかかったでしょうか。
何度も失敗しつつ、自問自答しながら、自分を大切にするように努力しました。
「3歩進んで2歩下がる」でも確実に進んでいたのだなぁと思います。
新卒で就職した保育園では初めての栄養士採用でした。
始めは調理、献立作成の他、乳児クラスでは食事を食べさせ、幼児クラスでは一緒に食べ・・・と恵まれた環境で仕事をさせていただきました。
そんな中、偏食の多い子が怒られながら悲しそうに食べている姿がどうしても気になっていました。
子どもの頃から頼まれなくてもよく食べていた私としては、「もうちょっと、こう、なんとかならないものか・・・」と感じていました。
そんな折、研修で「食育」というものを初めて知り、「これだ!」と思い、
すぐに園長に「やってみたいんです!!」とお願いし、快く了解していただきました。
給食前にペープサートを作ってその日の給食に出てくる食材のお話をしたり、
クッキングをしたり、魚屋さんに大きな鮭の解体ショーとタコを茹でる瞬間を
見せていただいたり(これは子どもの頃に父がやっていて驚きの感動と共に強く
記憶に残っていたものです)・・・
そうすると、子どもたちの食事の様子が生き生きしてきました。
お友達と楽しそうに食材のことを話題にしたり、得意気に食べたり・・・
そんな子どもたちから元気をもらって、必死に次は何をしよう・・・と考える中、
初めて自分が親や地域から食育をしてもらっていたことに気が付きました。
そんな意識はなかったのかもしれません。
昔は生活の中で当たり前に受け継がれていたのでしょうね。
その後はもっと幅広い年齢層にも臨床にも対応できるようになりたいと、
管理栄養士の資格をとり、他の現場での仕事を経験しました。
子どもが産まれて改めて、食育に関わりたいと思い、
教材の企画・制作やNPOでイベント運営などを担当しました。
どれもとても良い経験でしたが、目の前に子どもがいない場所で、
土や食材に触れることもなく、「食育」をしていると言えるのだろうか・・・
という想いがどうしても拭えなくなっていました。
出産・子育てを経験する中で、親として真剣に
「幸せになってほしい・・・親として何を残せる?・・・ずっと一緒にいて面倒をみられるわけじゃないな・・・」
と考える中、食育が生きることのねっこ、親として伝えたい要素がたくさん詰まっていると気づきました。
・自分で人生を乗り越え、切り開くチカラ
・広い視野で持続可能な社会をつくるチカラ
私が伝えるべきは「生きるチカラにつながる食育」「未来を創る食育」です。
それを支えるものは家族に教えてもらった愛情にほかなりません。
できることはたーくさんあって、
時間は足りなくてやりきれないけれど・・・
日々の生活を共に感謝して大切に生きる
そこを忘れないでいたいと思っています。
歴史を振り返ってみると・・・
大昔は食べることに命をかけ、時間も費やしてきた生活。
知恵によって効率よく生産する技術ができて、余裕が生まれて、貧富の差も生まれて・・・
文化・芸術が生まれて、娯楽が生まれて・・・人間ならではの素晴らしい能力ですよね。
途中からちょっと行き過ぎたようですね・・・
お金でなんでも便利に手に入る時代。でも歯車がちょっと狂えば簡単に崩れる虚構でもある。
地に足がついていない不安。
たまたま、そういう国・時代に生まれて、その中で子育てをしている。子どもは社会からどんどん吸収していく。
飽食日本で、ゲーム社会で、どうやって子どもたちに大切なことを伝えるか、生き方を見せていくか・・・
私もまた豊かな社会に生まれ育った人間。日々葛藤しながら模索しています。