いくやの斬鉄日記

オープンソースからハイスクールフリート、The Beatlesまで何でもありの自称エンターテインメント日記。

ごちゃまぜは日本の文化

2004年11月18日 01時24分07秒 | ほげらっちょ
“ごちゃまぜ”だから面白い――日本のアニメが海外で売れる理由

>日本ポップカルチャーの強みは「ごちゃまぜなこと」
ごちゃまぜというのは、いわば日本の文化ですよね。
元旦には初詣に行って、お盆は墓参りに行って、クリスマスにはパーティ。
「ごちゃまぜ」の強みを否定するものでないですが、もっと下回りのところでしょう。
明らかに日本文化を矮小化してるので、優れた観点とはいえませんね。

むしろ、
>学校教育が日本の子どもの絵や音楽のレベルを引き上げているためだ、という意見も上がった。
こっちのほうが理由として大きいです。
日本の教育制度には賛否両論あって、私も全てにおいて賛成しているわけではありませんが、皆等しく高い教育を受けている、というのは重要な要素でしょう。
教育は知識の詰め込みではなく考える力を養う場、と考えると、それだけ練られる(多角的な視野から眺めるというか)ということですから、やはりレベルが高くなると思うのですよ。
だから私は「ゆとり教育」には賛成しないのですが、それはとりあえず関係ないので置いときます。

>オタクを無下にバカにするのはやめましょうと、学校で教育して欲しい」(竹内さん)
これはたぶんギャグだと思うのですが、真に受けるとすると、誰に何をいわれようとも好きならやるので、放っておくのがモアベター。
人に何かかんか言われたら、反発するのが人情というもんでい。

日本のアニメ(ないし工業製品でもなんでも)が受けているのは、高度な教育を受けた人が作って、高度な教育を受けた人が評価してるからじゃないかと思うのですが、根拠がこれといってあるわけではないので、もう少し考察が必要です。あるいは、誰か同じこといってます?

ポップカルチャーとしての「ごちゃまぜ」は、時代遅れ、ないし市民権を得てしまって目新しさがなくなっている(トレンドではなくなっている)のかな、と思います。
「ごちゃまぜ」といって思い出されるのは「モーニング娘。」と「2ちゃんねる」だったりするのですが、まさにどんぴしゃでしょ。
まぁかつて一世を風靡した飯野氏の発言、ということを考えると、別な意味で説得力があるのかなと思いますがね。

ちなみにこのブログも、コンセプトは「ごちゃまぜ」です。
私は手を変え品を変え「ごちゃまぜ」なプロジェクトを10年くらいやってるので、ここまでくるともうアホとしかいえません。

ついでに私の部屋もごちゃまぜなのですが、日本文化に依るものなのでしかたないですね。
…ん? 違うだろって?
ほっとけ。
コメント (1)
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