#マダム路子と品川路子・自宅開業と両親の愛!
ある日、町を歩きながら見上げた看板に「~コンサルタント」という
看板が目につき、「コンサルタント」の意味を調べ。
ひらめいたのが「ビューティ・チャームコンサルタント教室」の名称。
名前を先に決め開講すると決意。問題はそれをどこで開設するか?
考えた末、「自宅開業」。それには、両親の力を借りなければなりません。
私の父は明治40年、母は明治45年生まれ。
父は会社経営者。母は専業主婦。
5人の息子のうち2人は夭折。そして娘は私だけ。
ある日、町を歩きながら見上げた看板に「~コンサルタント」という
看板が目につき、「コンサルタント」の意味を調べ。
ひらめいたのが「ビューティ・チャームコンサルタント教室」の名称。
名前を先に決め開講すると決意。問題はそれをどこで開設するか?
考えた末、「自宅開業」。それには、両親の力を借りなければなりません。
私の父は明治40年、母は明治45年生まれ。
父は会社経営者。母は専業主婦。
5人の息子のうち2人は夭折。そして娘は私だけ。
私が女優志願の頃から父は良き家庭婦人になることを望んでいました。
母は女優志願から、突然、魅力研究家・美容家になると宣言したときも
許可してくれた。父は、母に従うという感じでした。
しばらく鬱気味になっていた私に、小言も言わず見守ってくれた両親。
日本チャームスクールの講師になり、お給料ももらえるようになった
娘のイキイキと仕事をする私の成長を喜んでいたのに。
私自身の責任ではないとはいえ、日本チャームスクールが閉校して
しまっては、また娘が鬱的になるのも心配だったかもしれない。
結果的に両親は、自宅でのビューティーチャームコンサルタント
教室開催の許可をしてくれた。