マダム路子の歩み・
特別インタビュー#戦争体験を語る!
「週刊女性」誌で私の戦争体験のインタビューを受けました。
コロナも収束せず、戦争不安は拡大。世界に広がる気候変動!
#第三次戦争対戦の予感に恐怖を感じるのは私だけでしょうか。
特別インタビュー#戦争体験を語る!
「週刊女性」誌で私の戦争体験のインタビューを受けました。
コロナも収束せず、戦争不安は拡大。世界に広がる気候変動!
#第三次戦争対戦の予感に恐怖を感じるのは私だけでしょうか。
1945年8月2日米軍のB29大型爆撃機174機が、富山市中心部に
50万発以上の焼夷弾を受け町は一瞬にして焦土に。
「富山大空襲」は市街地の99・5%を焼き尽くし、被災した人は
およそ11万人。亡くなった人は2700人を超え、地方都市としては
人口比で最も多くの犠牲者が出ました。
1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲^だけで、罹災者は100万人を
超えたなお、当時の新聞報道では「東京大焼殺」と呼称されていました。
幼い頃の少ないフォトにも、気の強い表情で笑顔はありません。
大人たちも誰もが笑顔を促すことはありませんでした。