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hp.

ぬたあん ドビシュ!

2008-01-02 22:43:07 | OrangeDiary
バガボンド27巻を読みきりました
武蔵が吉岡一族を全員殺してました。凄すぎた。
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100の奴は俺がやる

2008-01-02 22:14:40 | OrangeDiary
頑張ります!
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一番早い手紙(長文)家族以外意味解らないところが多い

2008-01-02 22:00:54 | OrangeDiary
故里(フルサト)その2

                     渡辺セツ
                     平成19年12月

九月二十六日は哲史の誕生日(父、安太郎の亡くなった日)
昨夜、ぜんそくのようになって倒れて息苦しく一晩中眠れないで
儀母さんの勤めていられる東村山の病院(緊急入院した)という知らせがあったので
雅旦と恵と二人で行ったが酸素吸入をしていて話す事も出来ないでいたので帰ってきて
また、夕方二人で様子を見に行った、そこへ陽介が勤めから帰ってきたのでその話をして
「貴方もちょっと行って看て来たら?」と言ったら
「兄ちゃんは弱みを見せるのが嫌いだから行っても喜びやしない、
 それよりも、おばあちゃん、二人でこれからお墓参りに行こう!」
 と突然言い出したので驚いて
「だって夜のお墓参りなんて聞いた事もない、そんな事をしていいのかしら?」と言ったら
「だって俺、昼間はとても行けないものだから二人で行って良く拝んで頼んでこようよ!」
「おばあちゃんは俺がおぶって行くから大丈夫だよ」と言ってきかないので
「私も血のつながった肉身なのだから一生懸命たのんだら・・・」と思って
彼につかまって歩き出した
手にはちゃんと線香と庭に咲いている花二種類を持って出て来て
私の腰に左手を巻わしてしっかりとかかえ
私は右手を彼の腰に巻いたその手を彼が右手でしっかりとおさえて呆れ、持ち上げるような形にして呆れ
私は杖を左に持って(ギッチョなので)
私と同じ足を一緒に出して呼吸を合わせて歩いて呆れると
なんだか体が浮いたように軽くなってヒョコヒョコと歩ける、長い階段もすいすい上がれた
さぞ淋しいかと思ったが、今は墓地の直ぐ近くまで人家が一杯建っているので明るく
墓地にも所々に灯りがついているらしく墓石の字もはっきり読めるし暗い感じは全然しない
でも、彼は子供の頃に親に連れて来ただけなので
一つ上り口を間違えてウロウロしたのだが
間もなく主人の墓が分かって、風に飛ばされた花が(お彼岸の)まだしおれていないでいて
それに持って来た花を足して生け直し線香に火を付けたら
自分の髪の毛がチリチリと火がついたと笑っていた
そして墓石をきれいにふいて、さて「何を拝んだらいいの?」と聞くから
「それは自分でお願いしたいと思った通りに拝んだらいいと思うよ、私は私なりに拝むから」と云って
心経をあげてゆっくり心のたけをお願いした
彼もその間一生懸命拝んでいた・・・
帰りに向かったら何か急に肩の荷が降りた気がして
「おばあちゃんホタルが飛んでいないかな?」と云うので
「そうねホタルは さつきやみホタル飛びかい って唄があるから 五、六月頃だと思うわ!」と言いながら
出もしない声で「夏はきぬ」なんて唄って
「羽村の家はね その頃になるとホタルが蚊帳にたかったりしたものよ」
など云いながら 二人共軽い気持ちで行きの半分位の時間で家に着いた
家の前の坂の、上り切った所で「おばあちゃん今度は羽村のお墓へ行こうよ」と云った
家についたら二人が帰って来ていてとても心配していた、書いて置いたと云うのだが
まさかお墓とは思えなかったらしい
でもその翌日だったと思ふが、今は退院出来たと云う知らせがあった!
初めは一週間か二週間入院していて様子を見ると云われていたのに一日か二日で出られたなんて!
仏様のお陰だと思えてうれしくて有難くてたまらなかった。
哲史も「俺も墓参り行く」と一人で村山の墓へお参りしてその足で家族五人揃って窮屈な車に乗って
羽村の墓地に行き、代々の墓を見て色々うなづいては拝んでいた、分家のも皆一カ所にあるので
いちいち聞いてはうなづいては拝んでいた、そして一同は百八ツの段々を降りて
お久おばあさんの十一面観音の所へ集まって(私は歩けないので車で回って行って)みんな揃って拝んだ
そしてお堂へお賽銭を上げて今日の目的を終え、晴れ晴れしい気分で多摩川のほとりへでて
堰のよく見える所に腰かけて座り、雅旦が前から写真を撮ってくれた
あたりの櫻の大木やけやきの木の蔭で、大勢の人たちがバーベキューをしているので良い匂いが流れて来た、
多摩川の水は大部増えていて見事だったのだが濁っていたので下などは見えなかった
私の子供の頃は毎日ここへ来て遊ぶのが何よりの楽しみだった
水は底まで透き通っていて、夕方になると勤めを終へた若い衆が一杯出て来てアンマ釣りをする人
ペッチャンコ釣りと云って岸にしゃがんで竿を水に入れると釣り糸の先に魚(うお)が付いて上がってくる
それを後ろの砂利の上へポンと投げると魚はピンピキ跳ねている
それが幾つかたまると水際の砂際をちょっと手で掘ると水が出てたまる、その中へ魚を拾い集めて入れておく
最後にまとめて魚籠(びく)の中に入れて持って帰る 眺めていると面白い 夕方良く行ったものだった
大きくなる頃、横のし や平泳ぎ などを覚えた私は流れに乗って 一かきすると 
スーっと先の方迄行けるので すごく気持ちが良かったものだった
色々な思い出が数えきれない程ある!
今、堰から流れてくる水を見ていると、あの頃の光景がそのまま浮かんで来る
矢張り私は羽村を故里に持てたの事が幸せだなあ! と つくづくと有難く思ふ
ひと休みを終えて、大橋を渡り川向こうへ行き、魚観荘まで行ったが
みんなは寄ってみたそうだったが、私は全く好まないのでやめて
川向こうを小作の方まで行き「三崎港」という店で
寿司やサシミ等の生魚料理に寄って食事をしたが
哲史が良く食べてくれてうれしかった
あれから一週間たって日曜日に二人で揃って来て夕食をみんなでしたが
元気で勤めにも通っているが喘息の方はおさまっている様だったが
アレルギーの方はまだまだ掛かるだろう
たばこもくわえてはいる様だったのだがとうとう火を付けなかった
自分でも一生懸命耐えているのだと思うと胸がつまって来る
羽村ではお盆入りの日(十三日)の夕方、家の前の入り口で焚火をして、
三カ所に分けて仏様を向かへる(むかえ火)が
村山の中藤ではお墓の下まで行って、お線香に火を付けて(沢山)
それを道の両側に2、3本ずつくらい置きながら帰って来て
仏壇に移し、増やして拝んで仏を迎え入れたことになる(送り火の時はその反対)
陽介が子供の頃、外で友達と遊んでいて間に合わなかったら
「なんで俺を待っていかなかったの?俺、おじいちゃんをおぶって連れて来ようと思っていたのに!」
と怒ったのを思い出した。
私も十二月に入ると九十五才になる、もう死ねると思うが
死ねば灰になって、「無に帰る」と思っていたが
あの子はきっとお盆になれば墓から私をおぶって家へ連れて帰ってくれると思う
家に居ればなのだが。。。
(良い孫を持って本当に幸せだと思う)
コメント (3)
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