重粒子線治療患者の生きた証し 第二章 by imas

前立腺ガン患者の平凡な日々を綴ります

高気圧酸素治療 7回目

2024-02-29 20:09:06 | 闘病
早いものでもう2月もお仕舞ですね。怒涛の日の連続でした。

3月も粛々と高気圧酸素治療が続きます。あと23回、休みを入れると4月にずれ込みます。


記事内容は全く違います。



毎日通っている桐生厚生総合病院のそばに桐生市の史跡があります。

普段は車で通り過ぎてしまいますが、運動の為に歩いて通院した時に発見しました。



その昔、西の西陣、東の桐生と言われる程絹織物で栄えてきました。

今ではその面影は市内に点在している歴史史跡で辿る以外ありません。寂しいものです。

明治時代のローマ字ではKIRIUが正しかったようですね。





たまには歩いて市内を散策するのも必要ですね。

三途の川を渡りませんでした(狭心症編)続き

2024-02-16 22:33:26 | 闘病
三途の川を渡らず、綺麗な花畑も見ないで現実の世界に生きています。

全く記憶のない7日間が過ぎ、1月20日からの記録です。



左の胸には心電図



右手には点滴がついています。

1月21日(日)翌22日のカテーテル挿管し造影剤を入れての撮影の為に下半身の陰毛除去

1月22日(月)右手に尿を取る管を入れ、左手にカテーテルに造影剤検査を午後3時に実施

1月23日(火)午後5時40分に前日検査の診断説明
        冠動脈3本が加齢・高血圧・たばこでボロボロなので手術が必要



 夕方の廊下を歩くこと以外は身体を動かすことがないので極力歩くようにしました。
 

1月29日(月)午前中に点滴が始まり、午後3時20分右足の付け根から局所麻酔を行い、
       冠動脈からカテーテルを入れ冠動脈の狭窄または閉塞している部位に
       小さなバルーンを通して拡張したり、ステントという金属チューブを留置して狭窄を解除する術式
       2本の冠動脈に3個のステントを入れて3時間の手術が終了
       午後9時過ぎに遅い夕食を取って長い1日が終わった
       尿道に挿管したので膨満感が強く看護師さんに対応してもらった

1月30日(火)朝担当医師がカテーテル跡を確認して、尿道の管を抜いてもらって膨満感が改善した

1月31日(水)午前6時50分 担当看護師に起こされ検温(37度)と血圧測定(110/67 脈拍77) 体重65.5㎏ 
       5㎏痩せました
       退院後の日常生活の注意事項は①運転は3ケ月はしない事②寒暖差に注意③力仕事は注意

       午前10時に退院して、娘の家に立ち寄りうどんと天ぷらとピザを食して午後4時過ぎに帰宅しました。

その後2月1日から2月6日までは心臓の問題はなかったが尿漏れが改善しない状態が続いている。
その結末は後日とします。


        

三途の川を渡りませんでした(狭心症編)

2024-02-14 12:00:00 | 闘病
早いものでもうひと月が過ぎました。

時間をひと月遡ります。



1月13日(土) 桐生駅北口の居酒屋で高校のクラス会

1次会は10人で楽しいひととき、2次会は7人でワイワイガヤガヤ  

しかしその記憶は全くありません。

これから起こる怖い事件が原因です。

23:00頃 帰宅
23:05  家内と会話中に眼球上転し意識障害
23:22  救急隊接触時に心室細動を認め、心臓マッサージと電気ショックを行う
23:45  太田記念病院搬送

その後ICUにて48時間の体温維持療法と救命措置が行われ、

気がついた時は4日が過ぎて人工呼吸器が外れていました。

その後ナースステーション横の個室で1日、翌日に4人部屋に移動

倒れてから7日目にして初めて記憶が戻ったようです。

その間、家内は最悪植物状態になったらどう対応するかを考えたとの事です。

今こうしていられるのは幾つの幸運が重なったからです。

後遺症もなく人間としての生活が送れる事に感謝です。

家族を含め救急救命の関係者そして医療スタッフの皆様ありがとうございます。

救われた命を大事にしてこれからの人生を生きて行きます。