昔の良き香港がなくなってしまいそう
もうなくなってしまったかも。
昔から華仔は中国人を歌ってるときから
香港人より中国人なんだと判ってたけれど
この一年で決定的になりそう、、
私が香港を知ったのは華仔のお陰
華仔のコンサートに行きたくて、お友達もできて
華仔をしって、自分自身の世界も大きくなって
それこそ香港POPS、台湾POPSを聴くきっかけもすべてそこから始まったわ。
映画も、広東語の中国語とは全く違う言葉、
日本だと標準語と大阪弁の違いみたいで、なんか広東語が大阪の言葉みたいで
親近感をもったりと、、パワーのある言葉が気に入ったよね。
初めて香港行ったとき1999年8月暑かったけれど
楽しい思い出ばかりで
町中が広東語であふれてて、活気があったよね。ハンバーガ屋で
アルバイトの若い子は、英語でこちらが日本人だと日本語も交えて
楽しそうに接客してくれて暖かさを感じたのを思い出すね。
スターフェリーの乗船するときも
おっちゃんたちが喋ってて、まだ現金で乗ってたから
おつりもなくて、、困った顔してたら広東語で
わけわからん~と思ったけど、のんびりした時間が流れてて
今の香港とは全く違ってて
それがすごく懐かしい。。好きやったなぁ
綺麗になりすぎて、面白みが全くなくなったこの前、2018年末。
一つ嬉しかったのは旺角のショッピングモールで
バックを買ったとき、多謝と言ったら嬉しそうに多謝って
返してくれたおばさん。それだけはよかったね。
コンサートはインフルエンザにかかってしまった華仔、
途中中止になり、私が行く日の公演はもちろん中止、その後、返金。
その公演の振り替えが決まって喜んだのもつかの間、
新型コロナウイルスで中止、、そしてコンサートも消えてしまった。
香港でのコンサートが楽しみだったから、、
消えてしまったのはほんと涙でしたわ。デモくらいだったら
公演は開催していたに違いないだけに・・コロナ憎し・・
それよりも
香港の若者たちのあの、民主化運動。デモをネット情報で刻々としると、、
遠い日本から何も力になることはできないけれど
応援するよね、、頑張れって。周庭ちゃんみてると
こちらもパワーもらうわ。
そんなこんな、してるうちに、、徐々に
華仔が遠くなってしまってるのよね、歌も聞かなくなって
気が抜けてしまったというか。。。
他の人たちの歌はYouTubeも見るし
よく聞くけれど
なんなんやろうな、、、北京語でしゃべってたあの誕生日の
天地からの映像がショックやったのかもやな、、、、
広東語で話してくれてたらまだ良かったのに、と
ほんま、個人的感想やけど
街中で引き倒された女子学生の映像なども
これが今の香港かと知ると、、悲しくなるね。
澪奈の独り言、、、やわ