人は大昔から馬に助けられてきた。馬がいなかったら今の世界はないと言われている。騎馬として戦場へ行き、農耕馬として田畑を耕し、切り出した木材を運び、人を乗せ、馬車を引っ張り、雑草を片付け、堆肥を生み出し、荷物を運び働いてきた。
馬にとっては人間は主人であり、友であり、仲間だった。
人にとって馬は家畜であったり、パートナーや友であったり、愛玩動物であったりする。売ることもあり、殺すこともあれば、食べることもある。一方で馬が年老いて死ぬまで、家族のように愛情をかける人もいる。
そして現在、大多数の人がそうなのだが、時には観光牧場の馬を可愛がったり、馬肉を食べてみたり、ペットフードとして食べさせたりして馬を家畜として扱っている。いくら献身的に人間に使えようがほとんどの馬はこのような立場にいる。
人の馬に対する価値観はこのようにそれぞれで、宮古馬の問題も家畜としか見てこれなかった馬文化があるのかもしれない。人と一つ屋根の下に住んでいた、木曽馬や南部馬などは愛情をかけて育てられていた。厳しい寒さゆえの飼養形態がそうさせたとも言えるかもしれないが、馬は彼らにとっては家畜であり愛玩動物だったのだ。その愛情が今も馬たちを守ろうとしている。
江戸時代、なだらかな土地が多い宮古島に目を向けた薩摩藩島津斉彬の政策で輸出向けの馬たちの飼育を押し付けられた形で宮古馬を飼っていたという説がある。押し付けられたものは家畜でしかなく、愛情をもって育てることはなかったということか?それが宮古島での馬の身分なのか?そう思わざる得ないほど、馬に対する扱いは在来馬8種中ダントツで最下位にあるのは間違いない状況だ。失礼な言い方だが、誰も否定できないと思う。
せめて、市関係者が馬を可愛いいと思ってくれたなら、今回のように見ぬふりをして大量に死なせるなんてことはなかったのではないだろうかと思うと残念だ。守る立場の人たちなのだからそうであってほしかった。馬を知らないということがあったとしても、仕事になったならばまた別なのだ。もっと馬に触れ合っていてくれたら、また違っていたはずである。
宮古馬を愛する人たちの献身が実を結びますように。自分もできることをしようと思っている。