命きらめいて☆馬、犬、猫など動物に関する理不尽な事件や心温まる出来事の記録

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滅びへのベクトル

2019年01月15日 17時41分27秒 | 事件

機械化による文明の波に一掃されてしまったとはいえ、守るに十分値しうる宮古馬だ。
なのになぜ宮古島民は宮古馬を守り切れないのか原因を考えてみた。

まず、初めにはっきりとさせたいのは宮古馬とその飼育者たちの置かれている立ち位置だ。わかったことをまとめてみたい。

●かっては10000頭いた宮古馬が10頭以下に減少したころの1980年に保存会ができた。
●宮古馬保存会とは宮古島市所管の、市に事務局を置く、市の任意団体である。
●2018年度から担当部署が農林水産部畜産課から教育委員会生涯学習部生涯学習振興課に移管し、会長も市長から教育委員会教育長へと変わった。
●宮古馬は「宮古馬保存会」が所有しており、それは上記のことからほぼ「宮古島市」と考えていいようだ。結成当時は委託飼養者も数人在籍していたが、現在の保存会会員の構成はよくわからない。
●沖縄県は県の天然記念物に指定した当時の6年間は補助金を支給していたが、現在関与している形跡はあまり見えない。
●現在は宮古島市の補助金5000円と日本馬事協会の助成金8000円の1頭につき月13000円が委託先の飼養者に支給されている。

1991年には県の天然記念物として指定されたのに、飼育は希望者の民間人に委託するのみだった。ほぼ餌代のみの安い預託料で数十年も、委託飼養者たちの善意に甘えてきた市と保存会。他の在来馬のような、施設や組織の拡張や発展は見られない。

その間、行事などで利活用することにより増頭に成功。2015年には当初の目標50頭を達成したので保存計画の見直しを図った。2017年3月には市は多数の馬たちを天然記念物からはずし、その補助金を打ち切る決定を下したが、反対者も多く、保留になっていた。

種馬にできない雄馬と、妊娠しにくいとはいえまだまだ十分仔馬が産めるかもしれない雌馬、どちらもまだ若いと言える10歳以上の馬たちを突然に、それも大量に除外とはなぜだろうか?

小頭数からの「戻し交配」には繁殖の専門知識を必要とするが、計画的な配合をしなかったことで不都合が出てきたのが原因かと推測している。本来の宮古馬、右流間号やヒコーキ号の容姿と比べると現在の宮古馬たちは脚が細く、後ろ足がXに曲がり気味なのが気になっている。ひょっとして、保存初期の段階ですでに配合に失敗していたのだろうか。だから、県も早々と保存に消極的になったのかもしれない。

2018年度からは新しい担当部署となり、それまでの保存計画を県とともに見直そうとしていたが、馬たちの悲惨な状況がネグレクト虐待として全国に波紋を広げ大問題となってしまった。3年間で13頭もの馬たちが2ヶ所の劣悪な環境で世話もされずに糞尿にまみれ、ガリガリに痩せて死亡するという、まれにみる惨状を呈した。

こうして振り返ってみると、宮古馬を所有する「宮古馬保存会」が組織面、資金面、活動面においてしっかり運営できていないことが大きいと言える。これは天然記念物として指定しながら何もしない沖縄県と、宮古馬と保存会の管理者でありながら適切な管理を怠り、少ない補助金だけで馬を預けっぱなしにしておいた宮古島市のずさんな対応が招いた結果である。

(一番非難を受けるべきN氏やS氏は補助金が多くても同じような飼い方をする可能性が大きいので、ここでは省いた。)



昭和初期に琉球競馬で活躍したヒコーキ号


1935年ごろの右流間号


現在の宮古馬 by Wikipedia


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