命きらめいて☆馬、犬、猫など動物に関する理不尽な事件や心温まる出来事の記録

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宮古馬の歩み

2019年01月13日 18時56分43秒 | 事件

宮古島は比較的平坦で森林率が15年来14パーセントしかないという。そのような土地は馬の飼育には最適で、餌を栽培するにも都合が良いし、怪我も少ない。サラブレッド発祥の地、イギリスの馬文化が今でも栄え続ているのはそのような土地に多く恵まれているからでもある。

美しい海と丘のある宮古島で生き抜いてきた宮古馬はミャークヌーマなどと呼ばれ、在来馬(日本固有の馬)の8種のうちのひとつだ。体高は平均雌117cm、雄120cm位、体重約200Kgほどの小さな馬で、ポニーに分類される。

頭は大きめで、鼻すじを押さえて制御する木製馬具、オモゲーの影響からか、横から見ると鼻筋が反っているので、アラブ馬に似て愛嬌のある顔立ちをしている。腰回りや脚は細めだが、広くて固い丈夫な蹄を持っている。そのため蹄鉄をはかせる必要がないのは大きな利点だ。性格は温順で人懐こく、そのうえ、粗食と重労働に耐え、耐久力に富み、小柄ながら負担力大きく、駄載に適しているというから素晴らしい。

宮古馬は農作業や馬車、荷物を背負って運ぶなど、優れた家畜として、今までどんなに人の暮らしに貢献してきたことだろうか。そんな愛すべき宮古馬が悲しいことに今、いばらの道を歩いている。県の天然記念物に指定されているにもかかわらずである。どうしてそんなことになってしまったのだろうか。これまでどのような道を宮古島の人々とともに歩んできたのかを調べてみたくなった。

【全盛期から衰退期へ】

・宮古馬は遠く14世紀のころから存在していた。
・琉球王府時代(1429~1879年)から宮古馬は武士の乗用および江戸幕府や中国への献上品としての御用馬だった。

・そのころから戦前までの約500年間に、騎馬戦で有利な速歩の琉球競馬も奨励され宮古馬は大活躍していた。それは速さではなく、右前脚と右後脚、左前脚と左後脚を同時に動かす「側対歩」(そくたいほ)のような速歩(はやあし)で走らせながら、優雅さや美しさを競うものであった。馬の能力と調教技術の優秀さを競うものとも言えるので、馬産地らしい競技といえる。

・1771年(明和8年)には2000頭が飼育されていたと推定されている。
・1850年頃(江戸時代)薩摩藩の第11代藩主、島津斉彬(なりあきら)が、平坦な土地が多く馬の飼育に適していた宮古島での馬の生産に力を入れてきたせいもあって、当時は多くの宮古馬が繁殖、飼養されていた。

・1885年(明治18年)に糖業が始まってからは、サトウキビを宮古馬の背や馬車に載せて運ばせたり、農耕馬として活用された。
・1901年(明治34年)軍馬大型化という国策よって、原則としてすべての3歳以上15歳未満の(在来馬の)雄馬に去勢を施すことを義務付ける去勢法「馬匹去勢法」が発布された。
・1917年(大正6年)宮古島にも去勢法が適用された。
・1922年(大正11年)に農民の強い反対運動で、去勢法の適用区域から除外され、宮古馬の種は守られた。
・長濱幸男氏の『在来馬の危機救った農民パワー』には、幾度か訪れた宮古馬の絶滅の危機を救った島民の努力が書かれている。
・1935年(昭和10年)まだ幼少だった明仁親王の将来の乗馬訓練用として、右流間(うるま)、球盛(珠盛たまもり)、漲水(はりみず)の3頭が選定された。

・1956年(昭和31年)の12,428頭をピークに減少の一途をたどる。
・1962年(昭和37年)頃からのトラック、トラクターなどの機械化、畜力依存の小型製糖工場の減少によって、馬の需要が無くなっていった。
・1975年(昭和50年)宮古馬の調査で老令の宮古馬(在来)雌4頭、雄1頭が宮古群島、沖縄本島で確認され、在来馬は絶滅の危機に瀕していると、メディアに大きく報道され保存の機運が高まった。

【保存に向かって】

・1976年(昭和51年)「宮古畜産技術員会」が宮古群島全域にわたって宮古馬の飼養頭数を詳細に調査した結果、比軟的純度の高い在来馬が14頭いることが確認された。いずれも老令馬で繁殖能力が心配され、保存が検討された。
・1977年(昭和52年)在来馬の保存対策が宮古郡市町村の経済課長会議で検討された。
・同年5月には沖縄県中央家畜保健衛生所宮古支所に雄1頭と多良間島の波平常雄氏の寄贈による雌1頭が集められ、保存の第1歩を踏み出した。

・同年11月 平良市役所の企画室、農林課、商工観光課および教育委員会指導課で構成する「宮古馬保存対策会」が設置され、そこで在来馬を農家から買い上げ、平良市熱帯植物園(現宮古島市熱帯植物園)で集団飼育することが決定され、雌3頭を買い上げた。さらに沖縄本島で繋養していた名護宏明氏より雄1頭(太平号)が寄贈され、雌3頭、雄1頭の集団でスタートした。
・1978年(昭和53年)には7頭まで宮古馬は激減していた。二十数年前、宮古島の飼い主から売られ、糸満市喜屋武に移り農耕馬として活用されていた太平号は、売却された当時馬名はなかった。その後名護宏明さんが買い取り飼育していた。名護さんは無償でプレゼントすることを決め、宮古馬を太平号と名付けた。里帰り後、太平号と雌「ゆかりゃ号」との縁談がまとまった。

・1980年(昭和55年)4月1日に宮古6市町村で構成した「宮古馬保存会」を平良市役所内に結成。現存する全馬を保存馬に指定し、本格的に宮古在来馬の保存に取り組むようになった。
・同年6月「太平号」と「ゆかりゃ号」の間に仔馬が誕生。公募で「平太」と名づけられ、増頭計画に向け、大きな希望を与えた。 「太平号」は83年になんと47歳で天寿を全うしたという。(ちなみに現在長寿世界一はイギリスのシェインという牡馬で51歳だった)
https://www.bajikyo.or.jp/file/File/miyako/20111221133852203.pdf
http://www.miyakomainichi.com/2017/11/103886/

・1985年 全島ぐるみの本格的な宮古馬増頭運動がはじまり、目標頭数を50頭とした。
・1985年度の頭数は8頭だった。
・1991年(平成3年)1月 沖縄県指定天然記念物に指定され、当面の間は宮古圏内の保存事業に賛同する個人・団体に委託して飼育され、県は補助金を支給することになった。
・1992年(平成4年)には20頭になった。

・1997年(平成9年)宮古馬は19頭になった。
・同年3月から国の種の保存のためのジーンバンク事業により、農林水産省家畜改良センター 北海道十勝牧場で3頭が繋養されはじめた。
・1997年(平成9年)天然記念物に指定された当初沖縄県が出していた補助金が「再生事業が軌道に乗った」として打ち切られた。


【活用と頭数増加】

・2001年(平成13年)11月、島内に19頭、家畜改良センター十勝牧場で3頭が飼育され、合計22頭となり、当時、日本在来馬8馬種のなかでは一番少ない頭数となった。
・同年12月「宮古馬スマヌーマ牧場」が開設された。http://www.eonet.ne.jp/~nagasaki/miyakoho.htm
・2006年春に宮古馬保存会の協力を得て、6,000坪の広大な牧場「荷川取(にかどり)牧場」がオープンした。ここでは体験乗馬や自由乗馬(有料)ができる。
http://www.eonet.ne.jp/~nagasaki/nikadori.htm
・2007年(平成19年)30頭まで増やした。その後も毎年のように産まれたものの、事故死などの死亡が相次ぎ増減を繰り返した。
・同年から「放課後子どもプラン」を取り組みをはじめた。市内の小学校や学童クラブなどで、放課後や週末に安心して活動できる居場所を確保、次世代の健全育成にも役立てようというもので、宮古馬の体験乗馬も取り入れられた。
・2010年5月 うえのドイツ文化村で1日から開催されているこいのぼりフェスト2010(主催・宮古島市ほか)では宮古馬の体験乗馬が行われた。
・2011年3月 第28回宮古青少年の家まつりで体験乗馬があった。
・2011年3月28日 荷川取牧場で宮古馬「陸」誕生今年第1号、計33頭に。
・2011年 4月 宮古島観光協会主催の海びらきの行事が与那覇前浜ビーチで開催され体験乗馬があった。
・2011年6月 市の熱帯植物園内の体験工芸村にて宮古馬体験乗馬が新たに参入した。
・2012年6月 干潟の祭典「第22回サニツ浜カーニバル」(主催・宮古島市など)が17日、下地の与那覇湾、通称サニツ浜で開かれた。恒例の浜競馬には宮古馬7頭が出走した。
・同年6月11日 辺保良で仔馬が誕生し、40頭に到達。50頭達成へ期待膨らんだ。誕生と事故死を繰り返して伸び悩んできたが、約30年の月日を経て、1985年から始まった増頭運動の成果が表れ始めた。

・2012年7月 マンゴーまつりにて乗馬体験があった。
・2013年2月9日 平良山中の荷川取牧場で9日未明に今年初めての宮古馬の赤ちゃんが誕生した。
・2013年(平成25年)6月11日には再び40頭に達した。
・2013年7月 干潟の祭典・第23回サニツ浜カーニバルが下地の与那覇湾(通称サニツ浜)で開催され浜競馬、引馬による体験乗馬が行われた。
・2013年11月 東急グループの東急電鉄と宮古観光開発の「まいぱり宮古島熱帯果樹園」が開業され、園内に宮古馬牧場も開設された。

・2013年11月 第9回宮古島市生涯学習フェスティバルが市中央公民館で開かれ、宮古馬との触れ合いコーナーがあった。
・2014年1月 宮古島と北海道十勝牧場に計44頭が飼育されていた。

・2014年7月 干潟の祭典「第24回サニツ浜カーニバル」が下地の与那覇湾、通称サニツ浜で開かれた。約700㌶の広大な干潟を舞台に、恒例の浜競馬などが行われた。
・2014年11月 2014年度沖縄文化活性化創造発信支援事業の助成を受けて開催されている「みゃーく市民文化講座」(ATALASネットワーク主催)の第2、第3回合併講座が開かれ、在来馬の起源や人頭税との関わりなどについて、3人がそれぞれの専門的な立場から解説した。福氏(法政大兼任講師)、梅崎氏(スポニチ専門委員)、長濱氏(市史編さん委)45人の市民が参加した。
・2015年3月 第32回宮古青少年の家まつり(主催・宮古青少年の家)同施設で開かれた。青少年の家で行う事業や活動を地域に広く紹介し、子供たちに体験してもらうことで、教育施設としての活動周知と理解を深めることなどを目的に毎年開催されている。宮古馬乗馬体験があった。
・2015年4月19日 荷川取牧場で仔馬が誕生し、全体の飼育頭数は47頭となった。


【保存会の迷走と虐待の始まり】

・2015年5月 宮古島市役所上野庁舎において、宮古馬保存会会議が開催され宮古馬の保存に必要な目標頭数50頭が2015年度中に達成される見通しができたことから、今後の保存に向けた基本方針を策定委員会、沖縄県、関係機関と協力して策定することを確認した。

・2015年度において、50頭が達成されたことが馬事協会のサイトからわかった。
(その後は2016年度46頭、2017年度48頭となっている)https://www.bajikyo.or.jp/pdf/shiyoutoususuii.pdf
・2015年度市教委によると、15年度は4頭死亡。

・2016年5月6、7日ある旅行者のブログ「北海道から宮古島まで 旅の続き 宮古馬horse help」から劣悪な委託先のひとつ、N牧場でのネグレクト虐待が発覚し、ネットに拡散された。N牧場はこの3年間に10頭中8頭を死なせたので、写真の馬たちのほとんどはもういないことになる。
https://ameblo.jp/mintiadryhardsugarless/entry-12157476182.html
https://ameblo.jp/mintiadryhardsugarless/entry-12157953575.html


・2016年7月 干潟の祭典「第26回サニツ浜カーニバル」(主催・宮古島市など)が下地の与那覇湾、通称サニツ浜で開かれた。体験乗馬があった。
・2016年度は市教委によると、16年度は1頭が死亡。

・2017年3月 宮古島市は、繁殖に適しない高齢馬を天然記念物の指定から外す決定をした(2017年3月17日付『沖縄タイムス』より)これは保存会から除外される馬には補助金が出なくなるということで、そのまま飼養する委託者には大きな負担を押し付けることになる。

・2017年10月 市立平良図書館北分館の 「郷土の歴史と文化」 講座が開催され、市史編さん委員の長濱幸男さんが、 日本在来馬で県指定天然記念物の宮古馬の起源や歴史などについて講話した。 現在は47頭で目標だった保存集団数に達しようとしているが、 集団維持には100頭は必要と主張し、 飼養者の助成強化や県立公園への牧場設置、 保存会事務局体制の強化などを提言した。

・2017年年11月22日 全体頭数は47頭。そのうちの24頭は荷川取さんが飼育している。
・同年 荷川取さんら数人の委託飼養者たちは市の補助金の増額を要求。保留のまま今日に至る。
・2017年11月23日 当時の尽力者が市博物館で剥製展示されている栗毛の「太平号」に40年ぶりに対面した。
・2017年度は市教委によると、6頭が死亡。

・2018年3月 与那覇前浜周辺への整備を計画している宮古広域公園(仮称)の基本設計案で示された整備事業計画についての住民説明会が開かれた。20年度着工を予定し、計画では面積が約50㌶で、年間約73万人の利用を想定。駐車場は複数箇所に合計で約500台分を整備。主な施設としては野外イベントが開催できる大芝生広場やサッカーグラウンド、林間キャンプ場、宮古馬牧場、遊具広場、スケートボードパークなどの整備を予定している。

・2018年8月 宮古馬保存会は3日までに、一部の馬を補助の対象から外す現行の保存計画を見直す方針を確認した。飼養管理者に交付する補助金の適用範囲を明確に定める方針だが、繁殖能力がないと見なした馬を補助の対象から外す方向性は保つものとみられる。宮古馬の具体的な活用方法についても議論を深めることになった。飼養管理者には日本馬事協会や宮古島市から助成金が交付されているが、現行の保存計画には「10歳以上で繁殖履歴のないときは保存馬から除外する」と定められており、これに従えば該当の馬を持つ飼養管理者は補助金を受け取ることができない。この計画の適用年度は17年度だった。ただ、飼養管理者の要望もあって同年度の適用は見送られ、その後は検討課題とされていた。この間、保存会の事務局が市の畜産課から市教育委員会生涯学習振興課に移管。同課が県の担当課と調整した結果、策定委員会に新たな学識者を入れて計画を再考する案が浮上、2日に開かれた総会に諮って認められた。18年度の補助金は、従来通りに交付される。
http://www.miyakomainichi.com/2018/08/111331/

・2018年8月「馬と人のこれからサミット」(主催・同サミット実行委員会、共催・ミャークヌーマ宮古馬の会)が16日、平良鏡原の七原コミュニティセンター(七原公民館)で開かれた。市民や本土からの関係者ら約50人が参加。今後の日本在来馬の宮古馬、木曽馬(きそうま、長崎県)、御崎馬(みさきうま、宮崎県)などの保存や馬文化を次代に継承していくことについて考えた。サミット終了後、参加者ら荷川取牧場(荷川取明弘代表)へ移動し、宮古馬を視察した。荷川取代表は、4カ所に分けて計28頭飼育している。
http://www.miyakomainichi.com/2018/06/110093/

・2018年11月 宮古馬の保存活用法を再検討することになり、策定委員会が発足し、現行保存計画が大幅に見直されそうだ。31日に発足した保存計画策定委員会で、繁殖能力がない馬を保存の対象から外すことなどを柱に据えた現行計画をゼロベースで見直す方向性を確認した。宮古馬の保存・活用のあり方を根本から問う議論が始まった。現行計画に定めた▽10歳以上で後継馬が出ている馬は保存から除外▽精液が薄く種付けが困難と判断できる馬は保存から除外-は見直した方が良いとする意見があり、異論はなかった。 
http://www.miyakomainichi.com/2018/11/113612/



【虐待の発覚と報道】

・2018年12月11日 半年前に劣悪な飼養先Sでは、産後3、4週間後に母馬がやせ細って糞尿にまみれて死亡。乳飲み子の雄の仔馬海人(カイト)が残されたが、ミルクも与えず1週間も放置して、虐待(ネグレクト)していた。見かねたボランティア「ミャークヌーマ 宮古馬の会」の方たちによって救われ元気になったが、施設の繋ぎ飼育により骨折し、それが原因で死亡した。
https://www.facebook.com/miyakouma/posts/1943959772306559

・2018年12月11、12日 週刊SPA! とwebニュース 日刊SPA!で、虐待問題について報道された。「宮古島で馬への虐待が発覚。糞尿まみれでやせ細って衰弱死、天然記念物がなぜ?」https://nikkan-spa.jp/1533678/3
S氏は仔馬が産まれると10万円の補助金が出るため、妊娠している牝馬を欲しがった。次々委託されると世話をせず、母仔馬を二年連続で二組も死亡させた。この二年間で6頭中5頭を死亡させた。また、以前には馬事協会の助成金で厩舎を建てた。宮古島市担当部署のS氏への特別待遇が懸念される。

・2018年12月12日 委託飼養先が年度内に2カ所減る方向で調整していることが12日までに分かった。2戸が飼養している合計4頭の今後について調整を図るとしている。それは同保存会の事務局となっている市教育委員会生涯学習振興課によると、今年の5月にネット上で一部の飼養者で飼われている宮古馬の飼養環境が劣悪であることが写真と一緒に掲載されたことによる。


・2018年12月13日 宮古毎日新聞で、市は劣悪な飼育環境の2戸とは委託契約を更新せず、新しい飼養者を探すことになり、飼養戸数が7戸から5戸になると報道。その2戸の委託飼養者は宮古馬返還の意思を示していたが、これまで受け入れられなかったという。教育委員会生涯学習振興課と県は宮古保健所の「宮古馬の適正飼養について」の依頼文を全飼養者に伝達し、飼養環境の改善を求めた。(そこには動物愛護法も記されていた
http://www.miyakomainichi.com/2018/12/115034/

・2018年12月13日現在 宮古馬の頭数は44頭に。

・2018年度 市教委によると12月14日現在で5頭が死亡した。

・2018年12月15日 webニュース、ハーバービジネスオンラインで 週刊SPA!宮古馬取材班の記事「宮古島の馬虐待、また起きた仔馬の死。劣悪環境の牧場から一刻も早く馬を救え」が掲載された。劣悪な環境でほとんどの馬を死なせてきたN氏とS氏のあきれる言動と、市の担当部署のずさんな対応について書かれてある。
https://hbol.jp/181084


・2018年12月16、18日 沖縄タイムスと朝日デジタルで「一体何が?宮古馬3年で16頭死ぬ 一部飼育者で多発 沖縄県の天然記念物」という記事が載った。宮古馬は市の任意団体「宮古馬保存会」(会長・宮國博教育長)の所有で、市教委が事務局を担っている。市内の希望者に飼育を委託しており現在、8戸が45頭を飼育している。(家畜改良センター十勝牧場を入れると8ヵ所になる。)
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/359810
https://www.asahi.com/articles/ASLDK5TCBLDKUEHF00W.html

・2018年12月19日 宮古馬の飼養環境をめぐる報道が相次ぐ中、宮古馬保存会の飼養者説明会が19日午後、市役所城辺庁舎内で開かれた。資金不足の窮状を訴えて行政支援を求める飼養者に対し、市教育委員会は保存会への補助金増額を検討していることを伝えた。飼養環境の向上を求める声が全国から100件寄せられたことや馬を縄でつなぎ続け、水や餌も与えないとする一部の指摘は「確認されていない」という現状を報告した。ただ、飼養スペースの狭さや、ふん尿の片付けが行き届いていない厩舎があったことは認めた。厩舎を見回るようにとの声があがったことなどを含め翌日の宮古毎日新聞の記事に掲載された。
http://www.miyakomainichi.com/2018/12/115241/

2018年12月21日 webニュース、ハーバービジネスオンラインで 週刊SPA!宮古馬取材班の記事「宮古馬虐待が全国に知れ渡った日、無残にも放置された仔馬の死」仔馬カイトくんとその母馬が死んでいった経緯、他の牧場での様子などが掲載された。
https://hbol.jp/181720/3

・2018年12月27日市教育委員会(宮國博教育長)の第9回定例会が27日、市役所城辺庁舎で行われ、一部飼養者の劣悪な飼養環境が指摘された宮古馬の問題についても、これまでの経緯が報告され、年明け早々にも会合を開いて対応策などについて協議することになった。
http://www.miyakomainichi.com/2018/12/115481/

・2019年1月2日 webニュース、ハーバービジネスオンラインで 週刊SPA!宮古馬取材班の記事「虐待されていた4頭の宮古馬がついに救出。しかし、いまだ楽観視はできず」が掲載された。劣悪な環境の飼養先2ヶ所に残されたままの4頭がレスキューされたこと、1頭は新しい飼養先に決まったが、あと3頭は市の施設に一時的に移送されたにすぎなかったこと、他の残されている家畜の問題などについて書かれていた。
https://hbol.jp/182561?display=b

参考資料
新城明久著 「宮古馬」日本馬事協会出版「日本の在来馬-その保存と活用」
日本馬事協会HP、宮古毎日新聞、宮古新報、週刊SPA!と宮古馬取材班の記事、
沖縄タイムス、Wikipediaなど


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