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歴史に想いを馳せる

近代日本は横浜港は外国との大きな窓口であった。

長崎など一部の港で交易がありましたが、徳川時代の約260年間事実上鎖国状態でありました。

その時代は8割が農民で極めて貧しい生活でありましたが、独特の文化を醸成した時代でもありました。

地政学的に、日本は東の端にあり、南北3千キロに渡り、自然の要塞である海に囲まれています。

19世紀の世界は海を制覇した欧米の国々がアジアの地域も大半植民地化して行きましたが日本はかろうじて免れていたのです。

ほぼ無血で大政奉還という革命を日本人は成し遂げました。

時代は明治になり、日本は欧米の文化を急いで取り入れ、独立国として生きる決意をします。

当時としては極めて大規模で長期に渡る使節団を派遣します。

それを岩倉使節団と言います。

岩倉使節団画像

岩倉使節団インターネット特別展

1年10ヶ月に及ぶこの使節団の果たした役割はその後の日本に大きな影響を与えました。

法律、議会、軍隊がどのようになっているか、人々の暮らしはどうか、世界の情勢はどうなっていたか、初めて日本のおかれている現状を肌で理解したのではないでしょうか。

明治政府は日本を「殖産興業・富国強兵」として方針を出します。

この時代、自国の産業を興し、軍を強化し、自国は自ら守る決意をしなければ植民地化して悲惨な状況に国民を追いやることになってしまうからです。

近代日本の歴史はここから始まります。

明治、大正、昭和の10年頃まで日本は奇跡の成功を収めることになります。

その後日中戦争から戦争の泥沼に入り、昭和20年(1945年)の無条件降伏で日本はまた一からやり直すことになります。

戦争に負けて、近代日本の正確な歴史教育は行われなくなりました。

ここに大きな問題を現代に持ち越すことになります。

原点はここにあると思う。


今朝はここまで。

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