心友が天国に逝ってしまった
享年70歳
4年くらい前に肝臓がんみつかり、すでに手術も出来ない状態だった
それからみるとよく頑張った
高校は日大日吉(正式名称は日本大学高等学校)
わたしは高校からだが、心友は中学からだった
高1のクラスが同じになり、すぐに仲良しになった
高校時代はよく両家にお互い泊まって
やさしいお母さん、朝食がおいしく楽しみだった
お父さんは鉄工所経営されていた
横須賀に近い横浜だったので、防衛大学校の学生下宿受け入れてた
大学もわたしと同じ日本大学芸術学部映画学科
当時、同級生はおよそ800人いたマンモス高だったが、日芸に進んだのは数人、映画学科は2人だけだった
付属校なので、試験ありましたが、うまくすれば推薦で入れる
4年くらい前に肝臓がんみつかり、すでに手術も出来ない状態だった
それからみるとよく頑張った
高校は日大日吉(正式名称は日本大学高等学校)
わたしは高校からだが、心友は中学からだった
高1のクラスが同じになり、すぐに仲良しになった
高校時代はよく両家にお互い泊まって
やさしいお母さん、朝食がおいしく楽しみだった
お父さんは鉄工所経営されていた
横須賀に近い横浜だったので、防衛大学校の学生下宿受け入れてた
大学もわたしと同じ日本大学芸術学部映画学科
当時、同級生はおよそ800人いたマンモス高だったが、日芸に進んだのは数人、映画学科は2人だけだった
付属校なので、試験ありましたが、うまくすれば推薦で入れる
担任の先生に気に入られていたから素晴らしくよく書いてくれたようで^_^
推薦の合否の電話が小生の自宅に教師からあった
首尾よく合格!
たまたまその日も心友は小生の家に泊まっていた
折り返し、学校に電話して教師に確認
「市川が合格したから自分も合格ですか?」
教師曰く、お前は落ちた!
「市川が受かって自分は落ちたんですか?」
と、心友は言った!
教師はあえて嘘ついてからかったのでした(笑)
それから二人で合格祝いしたのはいうまでもない(^_-)-☆
心友はスポーツマンで
高校でアメリカンフットボールクラブを創設し初代のキャプテンに
それから何十年も母校のため汗かいていた
創部50周年を開催してOB会会長を後輩に譲った
病気になり、覚悟していたのだろう
推薦の合否の電話が小生の自宅に教師からあった
首尾よく合格!
たまたまその日も心友は小生の家に泊まっていた
折り返し、学校に電話して教師に確認
「市川が合格したから自分も合格ですか?」
教師曰く、お前は落ちた!
「市川が受かって自分は落ちたんですか?」
と、心友は言った!
教師はあえて嘘ついてからかったのでした(笑)
それから二人で合格祝いしたのはいうまでもない(^_-)-☆
心友はスポーツマンで
高校でアメリカンフットボールクラブを創設し初代のキャプテンに
それから何十年も母校のため汗かいていた
創部50周年を開催してOB会会長を後輩に譲った
病気になり、覚悟していたのだろう
これはコロナ禍の中、昨年8月11日に横浜スタジアムの特別室に同級生が集まって観戦したもの
この手配もやってくれた
これが親しい友人集まった最後になってしまった
若い時、うちのカミさんに「市川が死んだら俺が葬儀委員長やる」と言っていたようだ
先に逝ってしまった
友達がひとりづついなくなる
悲しいがこれが現実
生かされている者は日々感謝の気持ち忘れず
合掌
友達がひとりづついなくなる
悲しいがこれが現実
生かされている者は日々感謝の気持ち忘れず
合掌