コメが無いとか、店頭からパンが消え、カップ麺、ペーパー類などもいっぺんに買われてしまう。
でも、よくよく考えてみれば、コメにしたって、パンにしろ、カップ麺にしろ、生産には石油が必要なのだ。
地方ほど自動車の依存度が高い。
ガソリンが手に入らなければ動けない現実。
国が守るのは国民の安全と財産の保障だ。
現状、現実はエネルギーの多くを石油に依存している。
産油国の安定に寄与すること。
産油国から日本に安全に運ぶ海上を確保することが安全保障の一丁目一番地ではなかろうか。
食料自給率を上げようなどときれいごとを言ったところで石油が入らなければなにも出来ないのが現実でしょう。
全国のガソリンスタンドが激減しガソリン難民が出る。
なぜか?
ガソリンスタンドは薄利で儲からないからだ。
個人営業のガソリンスタンドはたいてい廃業してしまった。
過当競争による利益なき戦いをしてきた。
買う側にも大きな責任がある。
すべてのモノやサービスは売り手と買い手がいて成り立つ。
小生は消費者という単語が嫌いだ。
純粋消費者など存在しない。
コメ農家だって、燃料を買い、コメ以外の食品を買い、農機具や自動車も買う。
コメについては生産者であってもその他は消費生活者なのだ。
自分のモノ、自社のモノやサービスは高く売りたい。
自分が買う立場になればよいものを安く買いたいと思っている。
GDPとは付加価値の合計を意味する。
人々の働きに対して正当な評価をして値段を決める。
価格は需要と供給の関係で決まるのが一般的でしょう。
国内のコメは4割も減反して多額の税金を投入している特別なシロモノだ。
一年に一回の収穫が普通。
秋に収穫したコメを一年間あるいは数年掛けて消費してゆくのだ。
たくさん在庫はあるが、巨大地震の影響で物流に支障があり一時的に入荷が細くなっただけ。
しかし、目の前の売場から消えるとパニックになる。
モノやサービスを購入する時は生産側、供給側のことを思いやる姿勢、あるいはゆとりが欲しいものだ。
安ければよいというものではない。
売る側は魅力ある商品やサービス、食べ物なら美味しさというものを追及したい。
今起きている現象は日本人に警笛を鳴らしているものと小生は思いたい。
この未曾有の危機をどう乗り切るか。
フランシスコ・ザビエルが日本を発見した時の驚きが蘇る。
東方の外れに黄金の国があった。
貧しいが、人々は礼儀正しい。
キリスト教のような宗教はないが行動規範がしっかりしている。
こんな国が地球に存在していることに驚嘆し本国に報告している。
その一節を以下紹介します↓
アジアが植民地時代に入っていた頃で、アジアの東端に在った日本は最後の到着地点でした。日本に来たのは、宣教師、フランシスコ・ザビエル(1506~1552年)です。
1549年に来日し、1551年に出航したので、2年3ヶ月の滞在でした。この間に、日本人の多くが読み書きが出来る事、知識欲が旺盛で、道理に従い様々な優れた資質に驚きます。
「この国の人々は発見された国の中で最高であり、日本人より優れた人々は、異教徒の間では見付からないでしょう」
この言葉からも、日本が中国や韓国を大きく引き離した民度の高い国と判ります。ついでに、中国や韓国に何もかも倣ったという、史学の間違いが判ります。
「彼らは親しみやすく、善良で悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人々で、何よりも名誉を重んじます。大部分の人は貧しいのですが武士と共に不名誉とは思いません」
自分の名誉を重んじることは、泥棒など、不名誉、不道徳な事をしないということであり、ここにも、礼節の国が書かれています。
また、貧乏を不名誉と思わない事から、騙して金・財物を得ようという動きも無くなります。この点、この時代でも中韓の文化とは一線を画しています。つまり、まったく違う文明を持っていたのです。
↑このような内容であります。
日本という国、日本人は世界から見れば特殊な国であり民族であると思います。
日本人にはあたり前のことが実は特殊なことがたくさんあります。
今こそ良い面での特殊性を再評価し日本を再建しようではありませんか。
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