尾道にいってきました。
映画「男たちの大和」を見て、おもわず1/700ウォーターラインの「大和」建造
に乗りだしたいたっきいですが、その建造意欲を高めるためと、艦橋周りの細部
を見ておきたいからです。
というのも、ここには「男たちの大和」ロケに使用した実物大の大和
(艦首から190mまで)のはりぼてオープンセットがあるからです。
それと。
尾道といえば、やはり尾道ラーメン。
いつものしゅうさん(朱華園)で、中華そばと、隠れた逸品焼きそばを食すこと
も目標です。
まずは腹ごしらえ。最大の二番目の目標から攻略します!
って、(+。+)アチャーやっぱり並んでる。。。
「朱華園」の行列
・・・やむを得ませぬ。並びますか。。。
で、並ぶこと約20分。
中華そばとご対面です。\(^o^))/
中華そば 460円
そうそう。焼きそばも忘れちゃいません!\(^^\)
焼きそば 710円
げふ。。。失礼。
えと、何しに来たんでしたっけ?(?_?)
あ、そうそう忘れてた。
いよいよ本日の主目的、「大和」オープンセットを見に行くとしましょう。
「大和」のセットは、尾道市街から狭い水道を渡った対岸、向島にあります。
向島に行くには、水道にかかる橋を渡るか渡船を使うのですが、乗り物マニア
のいたっきいがフネをチョイスしないはずがありません。
朱華園から南へ約150mの桟橋に移動します。
桟橋には「大和ロケセットまで7分」の看板がありました。
桟橋で待つこと約5分。フネが対岸からやってきました。
クルマ2台と自転車1台、乗客5名が乗り込んだところで、何の前触れもなく
いきなり出港します。
世界一短い船旅へ出発!(と看板に書いてあった)
渡船 運賃:自動車+ドライバー計130円
似たようなフネが盛んに往復している様子が見える
高校時代に毎日この船で通学していたという知人によると、ラッシュ時には3隻
程度の船がピストン輸送し、7、8分おきに出発するんだとか。。。
まるで都会の通勤電車なみの過密ダイヤです。
これほど交通の便がよい離れ小島があったなんて・・・はじめて知りました。
渡船はベタ凪ぎの海面を揺れなく進み、5分ほどで450m先の対岸に到着します。
着いた桟橋からロケセットまでは、クルマで2,3分の距離。
かなりあっけなく到着です。
ロケセットは、日立造船向島造船所(閉鎖中)の敷地内に造られています。
造船所入り口で駐車料金(拝艦料?)500円也を支払い、シャトルバスに乗ります。
シャトルバスを運行しているのは、廃墟となっている造船所の中を一般人がウロ
ウロするのがあまり好ましくないからでしょう。
ま、タダで運んでもらえるので楽チンです。
・・・で、バスで約2分。
バスを降りて、最初に見たのがコレ↓
YAMATO自販機。しかし特殊な飲料はなかった。
海軍ならラムネくらい置いとけ・・・
・・・こんな自販機はじめてみた。
なんだか、みやげ物屋に「大和饅頭」など置いていそうな気配がします。
ではいよいよ、戦艦「大和」とのご対面です!
どーん!
艦首
・・・なにこの物体。
のぺっとしてる。なんかヘン。
フェアリードの滑らかな丸みがまた、異質な空気をかもし出しています。
しかし、シネスコサイズで撮ってみるとそれなりに迫力がでます。
たとえば地上と艦橋構造物の未成部分を入れないように撮影すると、こんな感じ。
大迫力!
おお~。
稜波性を高めるために盛り上がった艦首が強調されますねえ~。
こうするととても存在感があります。
ちなみにこの艦首、絶好の撮影スポットになっていました。
すでにテーマパーク扱いです。
「ハイッ、やまと!」
家族連れの写真を撮って売りまくる商魂たくましい写真屋
水兵の帽子を被り、菊花紋章をバックに家族で写真撮影・・・
まことにけっこうぢゃあないですか。。。
こうやってお子様のうちから英才教育を施し、愛国心と忠誠心を養うのです。
日本の将来も安泰ですな。。。
では乗艦!
・・・なに?左舷側から乗艦とな?
士官は右舷側からと決まっているのに。。。
私ら兵員扱いですかそうですか。
(劇中でも、一般兵は左舷から、司令官は右舷から乗艦していました)
艦首より艦体中央方向を見る
真ん中の台形のものは、砲身のない一番主砲塔
は~。広いなあ。
戦闘艦としては異様に広い横幅を体感できます。
なにしろこいつは世界最大の主砲を9門も搭載した「大和」なのです。
並みの艦体幅なら射撃時の動揺で砲安定性が低くなったり、艦そのものの復元性
も大きく低下するのでしょう。
(ちなみにパナマ運河を通れる幅で建造されたアメリカの戦艦は、「大和」とは
対照的に見るからに細いラインを描きます。)
また、艦首と艦中央が盛り上がっているように感じますが、これは主砲の設置位
置をなるべく下げて低重心にしようとしたからです。
主砲の前後にできたこの傾斜を、乗員は大和坂と呼んでいました。
・・・それにしても、鋲鎖もキャプスタンも波よけもボラードもないのは寂しい。
これではただの広場です。
でもそれがかえって広さを強調しているのかもしれません。
ではさっそく艦上構造物を見てまわりましょう。
二番主砲塔と25mm三連装機銃
左のは一番主砲塔の測距儀(目標との距離を測るスコープ)
やっぱりでかいなあ。
45口径46センチ砲のこの存在感!
砲身基部には外塘砲(※)操作台もしっかり作られています。
この砲塔は旋回可能だそうです。
機銃はオモチャみたいでした。
(※)外塘砲(がいとうほう)
主砲と同軸の訓練用小型砲。主砲弾とほぼ同じ弾道特性の小型砲弾を飛ば
せる・・・らしい。主砲弾を訓練に使うのはもったいないので、射撃訓練
は外塘砲で行うことが多かった。
右舷(反対)側から見る
ご覧のとおり、25mm機銃座はキャスターがついていて移動可能です。もちろん実
物は固定されていたはずです。
一番主砲塔と二番主砲塔の間の2つの扉は、主砲射撃時に甲板員が退避する場所
です。主砲を斉射すると、台湾ヒノキでつくられたこの甲板がめくれ上がるほ
どの爆風が襲いかかるため、主砲射撃時は艦内に非難する必要があったのです。
右舷前方から見た主砲塔、副砲塔
・・・なんかおかしいと思ったら、一番主砲の主砲測距儀がありません。
そもそもこの一番砲には砲身そのものもありませんが・・・
一番副砲塔
世界最強の副砲、15.5センチ三連装砲です。
65口径という長砲身から撃ちだされる砲弾は、いかにも初速が高そう。。。
左舷側、一番副砲のあたりから前甲板を見る
このあたりが「大和」全長のほぼ中間地点です。
ここから前後に約130mの長さがあります。
大和がドック入りすれば、こんな光景だったのかなあ?
うーん、ノスタルジー
中部甲板の艦橋構造物と高角砲群
「大和」新造時には、ここにも15.5センチ三連装砲がありました。
しかし時代とともに高まる航空機の脅威に対抗するため、ここにあった副砲を降
ろして高角砲(高射砲)を増設しました。高角砲の増設はその後数度にわたって
行われ、最後にはこのとおり、高角砲が林立する異様な光景になりました。
最終的に「大和」には、46センチ主砲9門、15.5センチ副砲6門、12.7センチ
高角砲12門、そして25ミリ機銃はなんと207門も搭載されました。
文字どおりのハリネズミ。
当時の海軍の、航空機に対する恐怖のほどがうかがえます。
しかしこれだけの砲を積んでも、射撃指揮装置の性能不足や指揮命令系統の不備
により対空戦闘能力は微々たるものでした。
事実、沖縄特攻「天一号」作戦では、旗艦「大和」以下の第二艦隊の死者が
約4000名だったのに対し、航空攻撃をかけたアメリカ側の死者は12名でした。
実際には戦闘と呼ぶより、一方的な殺戮に近い状況だったのです。
艦橋構造物のすぐそば、「大和」で最も火器が集中していたエリアを抜けて艦尾
方向に向かいます。
12.7センチ高角砲群
まさに戦艦は浮かべる城!
鋼鉄をつなぐリベットや、当時導入されたばかりの電気溶接を再現し、適度な
汚し塗装も施されて、存在感は十分です。
叩けばわかりますが(叩かないでください)、これらのセットはほとんど木製
です。
左舷側シールド付25ミリ機銃群
実際にはこの砲塔が5基並んでいたが、再現されたのは4基
艦首から190m地点、セットの後端まできました。
ここから退艦します。
外観は頑丈そうなセットだが、実は鉄骨+ベニア
次は、このセットを外から見てみます。
続く。。。。
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と、思ってましたが・・・・・
乗り込んで初めて知る凄さ!
ハリボテと言えど1/1スケールの大和
それも甲板を歩けるのですねーーー
大和ミュージアムの1/10でも決して体験できない
乗艦ですね
見上げる45センチ砲・・対空砲の林をすり抜ける・・・
こんな体験死ぬまでもう二度と出来ないでしょう!
500円安い!と帰りには思ってましたw
再現されたのは一部だけとはいえ、歴史でしか知らない大和型戦艦の雰囲気を感じとれるモノがあるってのはすごいことです。
「大和」の威容を語れる人が減ってきたこともあり、なんだか神話の世界の出来事のように感じることもあります。それだけ大和が常識はずれの戦艦だったということなんでしょうけど、少しずつ人々の記憶から消えてゆくのは寂しい限りです。
「大和」の機銃群のただなかに立つと、防空戦闘の際の喧騒が想像できました。命令、復唱、怒号が入り乱れ、弾薬を持った給弾員や伝令が走り回り、大小さまざまの火砲が矢継ぎばやに発射される轟音に満ち、爆炎で視界も悪く、敵機の姿も視認できないその状況を。。。
これは模型や写真では絶対に想像できないですね。
行ってよかったと思っています。