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先日『季節の記憶』を読んだ時に、そういえば『カンバセーション・ピース』も読んだけど、どんなだったかなと思い再読してみました。どちらも、保坂和志の著書で、後者のほうが後に書かれています。
文庫本のあとがきを見ると、保坂氏の代表作は『プレーンソング』→『季節の記憶』→『カンバセーション・ピース』の順で、この順番で読むとよかったそうです。『カンバセーション・ピース』は、あるちょっと古い家での、主人公とその妻、友人、友人の会社の人、過去にこの家に住んでいた伯父一家などの人々が描かれています。それから、猫たちの描写も多い。これだけだと、淡々とした日常生活なのだけど、その合間、合間で主人公が回想することや会話のの中で、事象のあり方というか、物の見え方というか、抽象的・哲学的な事が語られているのです。
『季節の記憶』もそのような感じだったけれども、あとがきにあるように、この本ではさらに進化したのでしょう。たしかに、いままで読んだことのない感じの小説?でした。?をつけたのは、これは小説なのか?という感じがしたからです。私はこの本を読んでいて、日常生活には心地よい部分もあり、哲学的?部分もそれなりに苦になりませんでしたが。しかし、死んだ猫に対する主人公の深刻な気持ちには、ちょっとどうかなと思いました(その他の3匹の猫に対しても、感情移入しすぎではと思ってしまいました)。私も猫は好きなのである程度はわかるのですが、偏見を持って言えば、猫好きの男性はなぜか溺愛する傾向があるようです。
それはそれとして、あとがきではこの小説はとても画期的なものであると書いてあるのですが、私にはそこのところがまだ良くわかりません。そういえば、保坂氏の『小説の自由』という本を以前買ってまだ読んでいないので、これを読んでみましょう。それでも解らなかったら、読書会の時にでも聞いてみましょう。
こういう丹念に読まないといけない?本の後には、さっと読める(内容が軽いというわけではないのですが)本を読みたくなるのは、私だけでしょうか
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『ガン病棟のピーターラビット』中島梓を読みました。中島梓さんの本は読んだことないけど、多くの分野で著作活動をしている方のようです。相当な深刻な状態でも、自分を保って、きちんと折り合いをつけて毎日を送っている姿勢には感心しました。手術や入院について、相当詳しく書かれているので(臨場感がある)、その手の話に弱い人にはお薦めできないけれど、いまやガンに罹患するのは少数派ではないので、明日はわが身という感じも否めませんでした。
その後、市立図書館で借りた小谷野敦の『もてない男』と『帰ってきたもてない男』を読みました。いやー、なんと言っていいのか
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しかし、最近ブスと言うことばをこんなに何回もつかった本は無いのではないかな。ちょっとむかつきましたが、勝手に言ってればという感じで、結構楽しめました。