小森氏は、村上春樹の「海辺のカフカ」を細かく分析し、村上氏のこの小説に込めたと考える思想的、政治的な意図を批判しているのですが、小説を書いたり、読んだりするのは、そのような事なの?? たしかに、「海辺のカフカ」を読んだ時に、さまざまな疑問が浮かんできたので、その疑問を解釈したいと思いました。しかし、村上氏がどういう意図で書いたのかというよりは、自分がどう解釈するかということだと思います。小説を読むということは、そういうことではないでしょうか。
小森氏はこの小説から多くの人が癒しを感じるのは間違いであると言っています。私は村上春樹の小説は、面白いと思うから読むのであって、思想や哲学をそこに求めてはいないし、「海辺のカフカ」が世の中のことを解決してくれる何かが書いてあるものだとは全く思わないので、もちろん癒しも感じなかったため、なにを批判しているのか良くわかりませんでした。しかし、こんなに真剣に批判される小説というのも、なかなか無いよなーと変に感心してしまいました。
ということで、感想を書いておいてなんだけど、あまりお薦めの本ではありません。「なら書くな」と言われそうですが、あまりに違和感があったので書いてしまいました。もしも、興味を持ってしまった人がいたら、すくなくとも「海辺のカフカ」を読んだ後で、読んでみてくださいね。
まだ途中ですが、保坂和志の『小説の自由』の中に、読んだ本について何かを書く(書評であっても、このようなブログであっても)ということは、純粋に本を読むということとは変化してしまう、と書いてありました。私の読書も変化してしまったのでしょうか?
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